◆ 2007.11.28 Wed

声にならない叫び

オケの後輩達はメサイア演奏会に卒業演奏会と立て込んでる時期だ。

メサイア演奏会のチケットも無事ゲットして、それを近くて遠いところから眺めてる自分がいる。そんな大変な子達の「声にならない叫び」を聞いていて、俺も同じような時期にトップ&インスペクター以外の人たちのやる気の無さというか温度差に悩んでいたなぁ、なんて久しぶりに追憶してしまった。

あの時のメサイアなんて指揮者が癌の体を押して命がけで練習に来てたんだから、そんなことも知らず頑張らない人間を半殺しにしようかと本気で思ってた。悔しくて家で泣いてた、今だから言える話だけど。

卒演の時も「旅行に行きたいなら演奏会なんて参加しなきゃいいじゃん」、「お前はオケのお客様か?団員じゃないのか?」なんて可愛い顔して油断させながら猛毒を吐いてたっけ。練習場で一日中ペア練やって、懐かしい。

でも不思議な話で、結果的にどちらの演奏会も例年とは比べ物にならないくらいに本番は上手く行った。メサイアなどは「過去10年間で最高の出来」と指揮者に言われたし、卒演も「あの演奏会が卒演のクオリティーを一気に上げる歴史的転換の演奏会だった」なんて言われている。その時録音を今でもたまに聴くのだが、確かに良い演奏なのだ。

そんな当時の辛い状況の中で、いったい何が上手に働いたというのか?

一つには「経験」がある、前期後期と演奏会を経験することでトップ&ペク筆頭に同期の連中の間には、いつの間にか統率力や音楽感が培われていたから、それを上手に生かせた部分は大きい。

あとは音楽が「楽しかった」ということ、オーケストラで「演奏すること」も演奏する「作品」も心の底から好きだったから、どんな辛い時でも音楽をする瞬間だけはちゃっかり楽しんでた。義務感から開放されて音楽に耽溺する感じ。

こうやって列挙すると要素としてはあまりにも漠然としているようだが、この二つが生み出した土壇場の「波状効果」というのは物凄かったと思う。逆に言えば、結局どんなに音楽的に人間的に凄い人がいたとしても「自分たち」だけでは何も出来なかったってことだ。

「一部の人」が身を削ってがんばっても、そういう中途半端な人間たちが協力しないがために実りは薄くて、結局その「一部の人」たちが更に身を削る結果になるという悪循環が一番辛いんだ。

現役の時には後輩達に言ってたけど、そうやって「頑張ってる人」だけが辛くなる状況はダメだ。演奏会をやるのはトップ&ペクじゃなくて、「自分」なんだということを忘れてはいけない。

毎年のことではあるがトップもペクも自分の時間を犠牲にしながらこれ以上ないくらいフル稼働で頑張っているわけで、これ以上頑張ったり何かを変えようともがいても、体調崩してどんどん壊れていくだけだ。

あとは「寝ぼけたままの人たち」が起きるかどうかが演奏会の出来を決める最大の要素といっていい。それくらい自分が重要な「鍵」を握っていることに気付いてほしいし、なにより前で頑張っている人たちの「声にならない叫び」に気付いてほしい。
◆ 2007.10.04 Thu

子供の可能性

指揮をやっていて、小中学生なんかのいわゆるジュニアオーケストラを教えに行くことがたまにあるんだけど、普段高校生以上の「大人」を相手に合奏をしているので言葉選びに苦労する。難しいことを言うと意味が通じなかったりするし、いかにシンプルで印象的な言葉を投げかけるかということにいつも苦心する。

なんとなく中学生の演奏が聞きたくなって、アンコンの映像なんか探して色々と見ていたら。印象的な映像に出会った、中学生によるラヴェルの「クープランの墓」の演奏、フルート+オーボエ+サックス4本+マリンバ+コントラバスというアンコン向けの編曲版。



音程もテクニックも甘いところはあるけど、表現がとても上手で「大人」の表情のある演奏だった。こういうのを見ると、子供のもってるポテンシャルを引き出せていない自分の未熟さを憂いたくなる。でも同時に励まされた、子供の「可能性」を感じたよ。

音楽に限らず、教育でもなんでもまずは子供を「信頼する」という前提なしに物事を上手く運ぶのは難しいのかもね。子供はわけの分からない「モンスター」ではなくて「可能性の塊」だということ。言葉にすると月並みだけど、意外とそういう部分を忘れて子供とおっかなびっくり接してる人って多いんじゃないかな。

なんかそんなこと考えてたら子供が欲しくなった。産みたい!(俺が)
◆ 2007.09.24 Mon

Ludwigと私

演奏会無事終了しました。

ベートーヴェンは何回やっても難しい、こちらの知識と経験が増えれば増えるほど、彼の音楽はどんどん遠くなっていく。このいつも強ばった顔をしたルードヴィヒ君の遺した作品は、一生をかけて勉強するに値するほど魅惑的な存在だと思う。クラシック界では誰もが知っているキャッチーな存在だった彼がどんどん神々しく見えてくるから面白い。人の子なのにね。

勉強してると「べト2の冒頭が上手に振れないんだよなぁ!」なんて小手先のどうでもいい話ばかりになりがちなんだけど、もっと懐の深いところに彼の音楽は存在していると思う。音の出し方一つとってもマーラーなんかを演奏するときよりずっと演奏家とのディスカッションが必要な作曲家だと思う。

一人の演奏者としては本番を十分に楽しめたし、練習に人がなかなか揃わなかったことを考えたらよく頑張った演奏会だった。でも十分に詰め切れない場所がたくさんあったことは間違いなくて、この最初の「壁」を破れないまま「乗り切る」演奏会になってしまったことにこっそり責任を感じていたりもするtaxiです。こんばんは。

まぁ僕は過去の自分を検証しつつインプルーブするしかない、その日与えられた環境に臨機応変に対応しながらベストなパフォーマンスをする反射神経と能力は「経験」によってしか養えないものなんだなと痛感します。人間は生モノですなー。

もっというとどれだけオーケストラの中で苦い経験と後悔を味わったかということ、「あの時上手に出来なかった…」とか「あの時オケのみんなに迷惑をかけてしまったな…」とか、そういった一見ネガティブな経験が今現在の自分の中ではかけがえの無い支えになっています。黒歴史こそ宝です。(笑)

大学時代からずっと一緒に音楽を作ってきた素敵な仲間から嬉しい言葉をかけてもらって、何気ないことだったんけどとても救われた気がした。ここでもありがとうと言っておく。最後に僕が振りに行っているオケの子から来た嬉しいメールをここに抜粋。

私最近さ、現役の時より今のほうが、音楽をやりたくてやってる気がする。音楽の知識もセンスもないなって悩むけど、でもおもしろい。学生時代も楽しんでたし、好き放題やったけど、でもやりたくてやるというよりその環境が「あたりまえ」だったし「受身」だったなと思って。最初は社会人になってまでやるつもりはなかったし。それが今!ほんと楽しいです、もっとやりたいことあるし、上手くなりたいと思う。

彼女は夜勤なんかもあって、忙しい仕事をしている人なんだけど上手に時間を作ってオーケストラでも精力的に活動している。こういう想いを持ってオケを続けている人もいるってことを僕は声を大にして訴えたい。結局「自分次第」だと僕は思う。

落ち込むこともあるけれど、歩みを止めずに進み続けます。
◆ 2007.08.28 Tue

楽譜なんて記号さ

楽譜はあくまで作品を記録するための便宜的な記号に過ぎない。

やたらとアカデミックな材料にしたがる人間は多いけど、結局大事なことは「自分がどう歌わせたいか」に尽きる。聴衆が求めてるものだってシンプルにそういうところだと思う、少なくとも聴衆としての俺はプロアマ関係なくそうだ。

音楽に限らず芸術というものは、高次に登り詰めようとしてある一線を越えると急に色々なものが抽象的になっていく。知識はアウフヘーベンされ「感覚」になり、複雑に紡がれた記号は「歌」になる。

そこで自分が示せるものは、「感情(≒意志)」のみ。

バーンスタインは音楽とセックスの相関関係について興味深い発言を残しているが、これも詭弁ではない!
◆ 2007.06.15 Fri

ひゃっほう!

主観的な音楽には客観的に取り組まなければならない

と、ある指揮者に言われた。

客観的な音楽には主観的に取り組まなければならない

と、もう一人の指揮者に言われた。

…もうわけわかんね ( ´,_ゝ`)

座標的に考えるとこの二つは最終的に同じ原点0に迫ろうとしているようだ、その原点に近づけば近づくほど言葉は曖昧になり単に「音楽」という言葉でしか捉えることができないようなものに変わっていく。

まるで全ての生命にとっての海(生命のスープ)のようなイメージ、人の心にじわじわと染みてきて官能的で本能的な侵食を起こす音楽のスープ。そこに身を委ねていると心のサードインパクトが起きそうになる。(エヴァ)

恐ろしい。恐ろしいものに僕は出会ってしまった。アドルフ・ロースの著作「装飾と犯罪」の中に出てくる「全ての芸術はエロティックである(Alle kunst ist erotisch.)」という言葉の意味を改めて思い知る。この言葉のあとにロースは次のように続ける。

Das erste ornament, das geboren wurde, das kreuz, war erotischen ursprungs. Das erste kunstwerk, die erste künstlerische tat, die der erste künstler, um seine überschüssigkeiten los zu werden, an die wand schmierte. Ein horizontaler strich: das liegende weib. Ein vertikaler strich: der sie durchdringende mann. Der mann, der es schuf, empfand denselben drang wie Beethoven, er war in demselben himmel, in dem Beethoven die neunte schuf.

【意訳】
この世界に生まれた初めての装飾は十字架であるが、これもやはりエロティックな衝動を根源としている。それは、最初の芸術作品、最初の芸術家が、有り余るエネルギーのはけ口を求めて壁に塗りたくった最初の芸術行為であった。横の線は横たわる女、縦の線は彼女を貫く男。これを描いた男は、ベートーヴェンと同じような衝動を感じながら、ベートーヴェンが第九交響曲を作曲したときと同じ至福の中にあったのだ。

うん、要するに「ひゃっほう!」ってことだな。(笑)


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