◆ 2008.04.19 Sat
「CDを聴く」という行為
デスクトップPCがだいぶ前にご臨終になったが、遂にiPodまで昇天なされた。
CDにして約1000枚分の音楽データを失ったことになる。殆どCDを所有しているから良いんだけど、データを写す気力はさすがにない。クラシックを中心にメジャーな作品はもちろん満遍なく入っていたから(ハイドンなんて交響曲1〜104番まで全部入ってた…)、「移動式HMV」のようなこの便利アイテムを失ったのは少々惜しい気がする。
…でもiPodを失ったことで変わったことがある。
それは「1枚のCDを聴くという行為の持つ意味」だ。高校時代などはCDを買ってくるとそれをワクワクしながらプレーヤーに乗せて、中に挿入されているブックレットなど読みながら曲を味わっていたものだった。しかし音楽がデータ化されるようになってから、なかなか「一枚のCDを味わう」ということをしなくなっていたなぁと気付いたわけだ。
レコード時代を謳歌したオッサンならきっと共感してくれると思うんだけど、恐らくCDをプレーヤーにのせる時点から既に始まっているのだ。そしてCDは一つのアルバムに一つのタイトルだから、自然と一枚のCDを最後まで味わうことが多い。クラシックにいたっては、それを聴きながらサラリーマンが指揮者の真似事を始めてしまう!(そして、それを妻に目撃されると死にたくなるんだ)
一方、iPodやiTuneはすぐに曲を変えられるから、つい次々と曲を変えてしまいがちだ。その様子たるや、飽きたおもちゃを次々と投げ出してしまう子供のようだ。
こんな風に書いてしまうと、CDを聴くことをまるで一本の上質のワインを味わうような行為にまで無理矢理高めているようで、「気取ってんじゃねぇよ!」と青木さやかの如きお叱りを受けそうだ。でも、ライブにしろメディアにしろ「芸術家と対峙すること」に変わりはない。そういう感覚は大事だと思ったわけだ。
それからブックレットという短いエッセイや解説を沢山読むことで養った知識というのも馬鹿にならない、世に言うヲタク共の知識の7割くらいはブックレットから得たものなんじゃないかと僕は勝手に思っている。実際僕は高校時代にクラシックCDを買い漁り、ブックレットを読んでいただけなのに今だにクラシックの知識量は周りの音楽仲間の中では多い方だったりする。塵も積もれば山となるけど、いきなり山に見せられちゃうと塵に目がいかなくなってしまう。
でも、外で音楽聴きたいのでやっぱり新しいiPodが…(以下省略)
CDにして約1000枚分の音楽データを失ったことになる。殆どCDを所有しているから良いんだけど、データを写す気力はさすがにない。クラシックを中心にメジャーな作品はもちろん満遍なく入っていたから(ハイドンなんて交響曲1〜104番まで全部入ってた…)、「移動式HMV」のようなこの便利アイテムを失ったのは少々惜しい気がする。
…でもiPodを失ったことで変わったことがある。
それは「1枚のCDを聴くという行為の持つ意味」だ。高校時代などはCDを買ってくるとそれをワクワクしながらプレーヤーに乗せて、中に挿入されているブックレットなど読みながら曲を味わっていたものだった。しかし音楽がデータ化されるようになってから、なかなか「一枚のCDを味わう」ということをしなくなっていたなぁと気付いたわけだ。
レコード時代を謳歌したオッサンならきっと共感してくれると思うんだけど、恐らくCDをプレーヤーにのせる時点から既に始まっているのだ。そしてCDは一つのアルバムに一つのタイトルだから、自然と一枚のCDを最後まで味わうことが多い。クラシックにいたっては、それを聴きながらサラリーマンが指揮者の真似事を始めてしまう!(そして、それを妻に目撃されると死にたくなるんだ)
一方、iPodやiTuneはすぐに曲を変えられるから、つい次々と曲を変えてしまいがちだ。その様子たるや、飽きたおもちゃを次々と投げ出してしまう子供のようだ。
こんな風に書いてしまうと、CDを聴くことをまるで一本の上質のワインを味わうような行為にまで無理矢理高めているようで、「気取ってんじゃねぇよ!」と青木さやかの如きお叱りを受けそうだ。でも、ライブにしろメディアにしろ「芸術家と対峙すること」に変わりはない。そういう感覚は大事だと思ったわけだ。
それからブックレットという短いエッセイや解説を沢山読むことで養った知識というのも馬鹿にならない、世に言うヲタク共の知識の7割くらいはブックレットから得たものなんじゃないかと僕は勝手に思っている。実際僕は高校時代にクラシックCDを買い漁り、ブックレットを読んでいただけなのに今だにクラシックの知識量は周りの音楽仲間の中では多い方だったりする。塵も積もれば山となるけど、いきなり山に見せられちゃうと塵に目がいかなくなってしまう。
でも、外で音楽聴きたいのでやっぱり新しいiPodが…(以下省略)
◆ 2008.04.19 Sat
音楽とセックスは相似形
最近色んなコンサートに行ってます。
こないだはノセダ指揮&BBCフィルの演奏会でヒラリーハーンのシベリウスを聴いて久しぶりに感動した、ノセダの指揮良かった、情熱的だけど力押しじゃなくて、聴かせ上手で…ああいうタイプの巧さに僕も憧れる。ヒラリーハーンも凄かった、最前列で聞いて悶絶した。
あとは諏訪内晶子のリサイタルにも行ったな。ドビュッシーはあの日の白眉だったと思う、フランスに住んでるとやっぱ違うのかなとか考えたり。でもあの人の音はやっぱ近代が合うと思った、シュニトケとかね。
…全部思い出せない。学生&アマオケもいくつか聴きました。
うん、生はやっぱり良いね。こないだの音楽仲間との飲み会などでは、勢い余って「音楽にコンドームはいらない!」という名言を生み出してしまったほどだ。バーンスタインの言葉を引用するまでもなく「音楽とセックスは相似形」なのだよ。
演奏を見れば、その人のセックスがどんなものかが大まかに想像できる。美しい旋律を血も涙も無く奏でる演奏家などは淡々としたセックスをするだろうし、テンポが走りがちで落ち着きの無い演奏家はせかせかしたセックスをするだろう。しかし、そう考えると濃厚で重い演奏をするロシア人演奏家などはみんな絶倫ということになってしまうのだが。(笑)
そういう卑猥な視点でしか演奏家を見られなくなったら君はもう変態だ!おめでとう!
こないだはノセダ指揮&BBCフィルの演奏会でヒラリーハーンのシベリウスを聴いて久しぶりに感動した、ノセダの指揮良かった、情熱的だけど力押しじゃなくて、聴かせ上手で…ああいうタイプの巧さに僕も憧れる。ヒラリーハーンも凄かった、最前列で聞いて悶絶した。
あとは諏訪内晶子のリサイタルにも行ったな。ドビュッシーはあの日の白眉だったと思う、フランスに住んでるとやっぱ違うのかなとか考えたり。でもあの人の音はやっぱ近代が合うと思った、シュニトケとかね。
…全部思い出せない。学生&アマオケもいくつか聴きました。
うん、生はやっぱり良いね。こないだの音楽仲間との飲み会などでは、勢い余って「音楽にコンドームはいらない!」という名言を生み出してしまったほどだ。バーンスタインの言葉を引用するまでもなく「音楽とセックスは相似形」なのだよ。
演奏を見れば、その人のセックスがどんなものかが大まかに想像できる。美しい旋律を血も涙も無く奏でる演奏家などは淡々としたセックスをするだろうし、テンポが走りがちで落ち着きの無い演奏家はせかせかしたセックスをするだろう。しかし、そう考えると濃厚で重い演奏をするロシア人演奏家などはみんな絶倫ということになってしまうのだが。(笑)
そういう卑猥な視点でしか演奏家を見られなくなったら君はもう変態だ!おめでとう!
◆ 2008.01.17 Thu
音楽とMusicは違うのか
「Music」という言葉の語源を辿っていくと、「Muse(ミューズ、ムーサ)」すなわち「女神」という単語に行き着く。ギリシャ神話には9人の女神が、音楽を初めとした人間の芸術の全てを司るアポロンに仕えたというエピソードに起源を持っているのだそうだ。その起源から考えればすべての芸術は「ミューズの恩寵」によってもたらされている人間の営みなのだ。
「音楽」という言葉が日本にはある、言うまでも無く英語で言う「Music」を指す言葉だ。「楽」と言う漢字には元来音を出す「道具」という意味合いがあったらしいが、次第に音楽そのものを指すようになったのだという。現代では「楽しむ」という意味で解釈されることが多い、「音を楽しもう!」なんて言葉を音楽をやっている現代人ならば一度は口にしたことがあるのではないだろうか。
そう考えてくると「music」を「音楽」と訳することにある種の違和感を感じるようになる、「音で(聴衆を)楽しませる」のは音楽の最も大きな役目・目的だが、音楽そのものではないのではないかという懐疑が生まれるのだ。意訳して夏目漱石の如く造語を作るなら「music」は「神音」とでも訳した方が相応しい気がしてくる。
しかし同時に「音楽」という言葉の持つエンターテイメント性を前面押し出した非常に親しみやすいニュアンスとはかけ離れた「神々しさ」が生まれ、ここに日本人は新たな違和感を感じるだろう。この違和感の正体は「宗教の違い」であり、それに基づいた「精神」の違いなのだと思う。
僕が西洋のいわゆる「クラシック音楽」を実際に演奏していて、よりその本質に迫った言葉だと思うのは「音楽」ではなく「music(=神音)」であり、エヴァンゲリオンの渚カヲル君の言葉を借りれば正に「リリンの生み出した文化の極み」だと思う。(笑)「音楽には女神が宿っていて、そこからインスピレーションを受けながら人間は音楽を生み出しているのだ!」などと、妄想を膨らました方が何故かクラシックはしっくりくる。
更に考えを深めていくと、この「神々しさ」がクラシックの「高尚さ」や「近寄りがたさ」生み出す要素になっているのだと気付く。同時に僕はダニー・ケイというアメリカのコメディアンのことを思い出した。彼ははそんな「Music」の精神を逆手にとって、ニューヨーク・フィルと共に「Musicで音楽する」という物凄いことをやってのけている。
因みにダニー・ケイは楽譜などは全く読めないのだが、そのタクトさばきは実に見事で笑いとは別のところで感心してしまう。全てを本格的にやっているからこそこの「シュールな笑い」は生まれているし「Musicのまま音楽する」ことが出来ているのだと思った。高尚な「Music」を親しみ易い「音楽」に変えるのも演奏者の役目なんだなと喜劇王に学ばされる。
音楽を愛する全ての人に観てほしい映像。
「音楽」という言葉が日本にはある、言うまでも無く英語で言う「Music」を指す言葉だ。「楽」と言う漢字には元来音を出す「道具」という意味合いがあったらしいが、次第に音楽そのものを指すようになったのだという。現代では「楽しむ」という意味で解釈されることが多い、「音を楽しもう!」なんて言葉を音楽をやっている現代人ならば一度は口にしたことがあるのではないだろうか。
そう考えてくると「music」を「音楽」と訳することにある種の違和感を感じるようになる、「音で(聴衆を)楽しませる」のは音楽の最も大きな役目・目的だが、音楽そのものではないのではないかという懐疑が生まれるのだ。意訳して夏目漱石の如く造語を作るなら「music」は「神音」とでも訳した方が相応しい気がしてくる。
しかし同時に「音楽」という言葉の持つエンターテイメント性を前面押し出した非常に親しみやすいニュアンスとはかけ離れた「神々しさ」が生まれ、ここに日本人は新たな違和感を感じるだろう。この違和感の正体は「宗教の違い」であり、それに基づいた「精神」の違いなのだと思う。
僕が西洋のいわゆる「クラシック音楽」を実際に演奏していて、よりその本質に迫った言葉だと思うのは「音楽」ではなく「music(=神音)」であり、エヴァンゲリオンの渚カヲル君の言葉を借りれば正に「リリンの生み出した文化の極み」だと思う。(笑)「音楽には女神が宿っていて、そこからインスピレーションを受けながら人間は音楽を生み出しているのだ!」などと、妄想を膨らました方が何故かクラシックはしっくりくる。
更に考えを深めていくと、この「神々しさ」がクラシックの「高尚さ」や「近寄りがたさ」生み出す要素になっているのだと気付く。同時に僕はダニー・ケイというアメリカのコメディアンのことを思い出した。彼ははそんな「Music」の精神を逆手にとって、ニューヨーク・フィルと共に「Musicで音楽する」という物凄いことをやってのけている。
因みにダニー・ケイは楽譜などは全く読めないのだが、そのタクトさばきは実に見事で笑いとは別のところで感心してしまう。全てを本格的にやっているからこそこの「シュールな笑い」は生まれているし「Musicのまま音楽する」ことが出来ているのだと思った。高尚な「Music」を親しみ易い「音楽」に変えるのも演奏者の役目なんだなと喜劇王に学ばされる。
音楽を愛する全ての人に観てほしい映像。
◆ 2007.12.12 Wed
ヘンデル/オラトリオ《メサイア》
ヘンデルのオラトリオ《メサイア》の話。
YouTubeに僕の一番好きなマリナーの演奏があってテンション上がった、演奏も良いしこのホグウット版が一番しっくり来る。10〜11番以外は全て揃ってるので全てアップされているので紹介。全部観ると2時間はかかる、でも僕はいまだに暗譜してて音名で全部歌えたりする。なんてったってもう4回もヴァイオリンで演奏してますから。(笑)
クリスマスといったらメサイアなんだよ、ピンと来ない人が多いと思うが。今街なんかで流れてるクリスマスソングの原曲なんかは正にこのメサイアの中に入っていたりするんだZE。
というわけで今日は後輩達のメサイア演奏会、楽しみだ!この演奏会のために多くの物を犠牲にして頑張ってきた人たちがいる、そんな人たちに明日は「Messiah(救世主)」が降り立つことを願ってやまない。ちなみにこれ俺の思い出の曲、またの名を「片思いソング」。…みんな頑張れよ、俺歌うから!
「かぁ〜んふぉてぃ〜。」
…あ、ソロ歌うのは流石にまずいな。ソリストに譲ります。(笑)
YouTubeに僕の一番好きなマリナーの演奏があってテンション上がった、演奏も良いしこのホグウット版が一番しっくり来る。
【曲目】 ヘンデル:オラトリオ《メサイア》
【演奏】 ネヴィル・マリナー(指揮)/
アカデミー&コーラス・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
シルヴィア・マクネアー(S)、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(Ms)、
マイケル・チャンス(C-T)、ジェリー・ハドリー(T)、
ロバート・ロイド(Bs)
1. Symphony
2 confort ye my people
3 Every valley shall be exalted.
4 And the glory of the Lord
5 thus saith the lord
6 but who made abide
7 And he shall purify
8 Behold, a virgin shall conceive
9 O thou that tellest good tidings to Zion.
10 For, behold, darkness shall cover the earth
11 The people that walked in darkness
12 for unto us a child is born
13 pifa
14 There were shepherds abiding in the field -
And lo! the angel of the Lord came upon them
15 And the angel said unto them
16 And suddenly there was with the angel
17 glory to God in the highest
18 Rejoice greatly
19 then shall the eyes
20 he shall feed is flock
21 his yoke is easy
22 Behold the lamb of God
23 He was despised
24 Surely He hath borne our griefs
25 And with His stripes we are healed
26 All we like sheep have gone astray
27 All they that see him
28 He trusted in God.
29 Thy rebuke hath broken His heart
30 Behold, and see if there be any sorrow
31 He was cut off out of the land of the living
32 But Thou didst not leave His soul in hell
33 Lift up your heads, O ye gates
34 Unto which of the angels said He
35 Let all the angels of God worship
36 Thou art gone up on high
37 The Lord gave the word
38 How beautiful are the feet of them
39 Their sound is gone out into all lands
40 Why do the nations so furiously rage together?
41 Let us break their bonds asunder
42 He that dwelleth in heaven
43 Thou shalt break them
44 Hallelujah!
45 I know that my Redeemer liveth
46 Since man came by death
47 Behold, I tell you a mystery
48 The trumpet shall sound
49 Then shall be brought to pass
50 O death, where is thy sting?
51 But thanks be to God
52 If God be for us, who can be against us?
53 Worthy is the Lamb that was slain
クリスマスといったらメサイアなんだよ、ピンと来ない人が多いと思うが。今街なんかで流れてるクリスマスソングの原曲なんかは正にこのメサイアの中に入っていたりするんだZE。
というわけで今日は後輩達のメサイア演奏会、楽しみだ!この演奏会のために多くの物を犠牲にして頑張ってきた人たちがいる、そんな人たちに明日は「Messiah(救世主)」が降り立つことを願ってやまない。ちなみにこれ俺の思い出の曲、またの名を「片思いソング」。…みんな頑張れよ、俺歌うから!
「かぁ〜んふぉてぃ〜。」
…あ、ソロ歌うのは流石にまずいな。ソリストに譲ります。(笑)
◆ 2007.11.15 Thu
経験が奏でる音楽
年齢を重ねた音楽家の音楽からは「経験の匂い」がする。
音楽の表現の幅は年齢と共に広がっていくのは間違いない。でも子供の良い演奏を聴いたりすると、本能的な部分において音楽に年齢は関係ないのかもしれないと思う。子供の演奏の中に「大人の音楽」を感じた瞬間のどきどき感が好き。
このどきどき感というのは、喩えるなら幼い少女が「愛と恋は違うのよ」とか大人しか吐かない台詞を吐いた瞬間の「!!!」という感じに似ている。でも子供は子供、自分の経験から出てきた言葉というわけではなくて、大人から反復練習で擦り込まれた「方法論」によって音楽を紡いでる。自分の経験というより伝え聞いた「経験談」といった感じだ。
というわけでヤンセンお姉さんの「経験」を感じる大人の演奏をどぞ。
バルトークのルーマニア民族舞曲良い曲だわ。この土臭い悲しさ!
音楽の表現の幅は年齢と共に広がっていくのは間違いない。でも子供の良い演奏を聴いたりすると、本能的な部分において音楽に年齢は関係ないのかもしれないと思う。子供の演奏の中に「大人の音楽」を感じた瞬間のどきどき感が好き。
このどきどき感というのは、喩えるなら幼い少女が「愛と恋は違うのよ」とか大人しか吐かない台詞を吐いた瞬間の「!!!」という感じに似ている。でも子供は子供、自分の経験から出てきた言葉というわけではなくて、大人から反復練習で擦り込まれた「方法論」によって音楽を紡いでる。自分の経験というより伝え聞いた「経験談」といった感じだ。
というわけでヤンセンお姉さんの「経験」を感じる大人の演奏をどぞ。
バルトークのルーマニア民族舞曲良い曲だわ。この土臭い悲しさ!




