◆ 2003.02.26 Wed

団員が辞めてしまったら…

学生オーケストラの団員が辞めてしまった時はどうしたらいいだろう?

もちろん、絶対的な答えやメソッドなどあるはずもなく個別に適切な対応をするしかないのだが。ここでは僕自身の体験から思うことをつらつらと書いていきたいと思う。

当たり前のことを書くのは気が引けるのだが、まず自分自身がポジティブ・シンキングになることが重要だ。団員がやめた時は早く気持ちを切り替えて明るい雰囲気を作ることにつとめることが第一である。そうしないとドミノ式にオケに対しネガティブな意識のある団員が辞めてしまい悪循環になってしまう場合があるからだ。

雰囲気さえ良くなれば、それが結果的にいい方向へ傾くこともある。「誰かが抜ける(欠ける)」ということは、その人の役割(役職に限らず人間的な役割)を誰かが新しく受け持つようになるということだ。そうやって関係が再構築される時期というのはある意味で「チャンス」なのだ。

学生オケを経験したものならば誰しも、先輩が引退する事で今まで後輩だった人たちがたくましくなっていく姿を見たことがあるだろう。そこには自然と新しい「責任」が生まれている。責任というものは押し付けなくても、自然と生まれていくものなのである。

苦しい時こそチャンスだ、危機を機会にできるよう努力しよう。
◆ 2003.02.22 Sat

ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」について

ショスタコーヴィチの代表作といえばやはり交響曲第5番になるだろか。

素人から絶賛され玄人から嫌われがちの5番、僕は素直に好きといえる作品だ、彼の思想とか抜きに一つの「交響曲」としてよく完成されていると思う。オーケストレーションも巧妙かつ明快だし、その抜群のセンスには驚かされる。

この曲の数多い録音の中でどの演奏が支持されているかを見ていくと、大きく分ければバーンスタイン派とムラヴィンスキー派の二つに分かれてくると思う。僕個人としてはバーンスタインの東京ライブが熱くて好きなのだが。

ムラヴィンスキーの方(といっても何枚も出ているが…)には何か知性のようなものを感じる、アルトゥスからでてる73年東京ライブとか84年レニングラードライヴなんか素晴らしい演奏だと思う。どちらも捨て難い。

結局、最終的には好みの問題だろう、ロマンチストは迷わずバーンスタインを採るだろうが…。他にはハイティンク&ACOの演奏が非常に有名だだ、僕にはごく「普通」に聞こえる。究極の中庸いう類型があるならこの演奏は正にそういうものではないかと思う。

そんな話をしていたら、無類のショスタコーヴィチファンであり我が恩師でもあるK氏が5番について熱く語ってくれました、自分にとっては非常に新鮮な意見だったのでここにも転載しておきたい。

私の場合、バーンスタイン派もなにも、生涯初めて買ったCDがあの東京文化会館ライヴだからなあ。あのイメージが強烈なわけ。それからいろいろ買い集めたりして10数枚は聴いたけど、バーンスタイン1人でも'59と'79では大きな変化がある。

ムラヴィン系とバーンスタイン系(こういう分け方は不適切かもしれないが)の解釈の差は1楽章のテンポ感と3楽章の位置づけにあると思います(4楽章のテンポ差も確かにはっきりしているけど)。確かに、「プラウダ批判」を受けた回答「人類の勝利」と見るか、テミルカーノフの言う「証言」派の「強制された歓喜」と見るか、で二分されがちだが、私はどちらでもないと思う。

私がこの曲から伝わってくると感じ取ったのは人間のあらゆる表現を包括する「普遍性」だったから。これこそ私が最もこの曲を気に入っている理由です。よく、4楽章最後のテンポが問題にされるけれど、そこは前述二派の言い分を裏付けているように思えて実は本質的に重要な部分には思えない。全体を通して第三楽章の位置づけをどう持ってくるかがキャラクターの本質的な違いではないのかと考えるのです。

そういう意味でバーンスタインの解釈には共感を覚えるのです。彼はこんな感じのところをいつも引っ張るけど(実際長い!)この曲のそれは単に感情的なものから出た表現では無いと思う。でもムラヴィンの解釈も結構好きなんですよ。。

現代に生きた作曲家でありながらこんなにもたくさんの解釈がなされ、でもそれぞれ支持されている作品を書いたショスタコはマーラー以上に魅力があるんです。実際のところ、ショスタコが曲に託した彼のメッセージを意識させられるものはむしろ10番〜13番の辺りを聴いてみるとじわじわと「効いてくる」感じかな。

長くなってごめんよ。イヌルぞ。

東京ライヴが思い出の一枚というわけだ、確かにレニーの新旧盤はどちらも魅力的な演奏だ。熱さでは日本ライブをとりたいところだが。あの3楽章を高校時代に聴いて僕は大変なショックを受けた、あれは僕にとって事件だったなぁ…きっとK氏も強烈なイメージを受けたのだろう。

人間のあらゆる表現を包括する「普遍性」という言葉に僕はハッとさせられた。「人類の勝利」か、「強制された歓喜」か、という「証言」巡る小さなパラダイムの中で、もがいていた人間にとっては目からウロコの言葉ではないかと思う。
◆ 2003.02.05 Wed

学生指揮者諸君!

「指導者なしの状態で、学生指揮者が合奏をしなければならない。」

そんな環境のオケは多いと思う。勉強不足で「つまらない合奏」をしてしまうと団員の集中力も信頼も無くなって練習の意味がなくなってしまうし。だからといって、勉強すればすぐ「指揮者」のような合奏ができるかというとそうではないし。学指揮で充実した合奏をする事は本当に難しい。

では学指揮はどんな事を心掛けたらいいのだろうか?

意味のある練習を成り立たせるために学指揮に必要とされるものは「知識」と「耳」だ。指揮のレッスンを受ける時には、必ず「CDを聴くな、自分の頭で楽譜を噛み砕け」なんていわれるのだが、普通の学生にとってそれは難しいことである。(もちろん楽譜に書いてある表現を読み取ることは必要だが)

「ならばスコアを見ながらCDを何度も何度も聴いてみてはどうか?」というのが僕の提案。スコアを見ながら何種類かのCDを聴きこむと、ある程度どの部分でどのパートを鳴らせばよいのかといった「バランス」や指揮者の狙っている表現の「仕掛け」が少しずつ見えてくる。

そこで感じたことや気付いたことスコアにどんどん書き込んでみることをオススメしたい、あとは実際の合奏の時に、CDを聴いていて気付いた「バランス&仕掛け」を皆に話しながらそれを音にしていく。そうすると団員も学指揮が何をしようとしているのかが理解できるので、スムーズに練習を進めることができる。

忘れてならないのは、そうやって学指揮がいくら頑張ってもそれを受け止める団員の心が開いてなければ何も前進しないという事。前にも書いたが「心のアンサンブル」ができない人間同士が「音のアンサンブル」をできるはずがないのだ、個人レヴェルからの意識改革が全体の意識改革に繋がります。

「頑張る少数派」と「それに振り向かない大多数」という構図にならない事を願うばかりです。頑張れ若者たち。


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