◆ 2003.05.26 Mon
後付けの運命
「将来の夢」というものは人間なら誰しも持っていたはずだ。
殆どの人は夢を諦めて(或いは忘れて)、普通のサラリーマンなんかになっていくわけだ。しかし仮に夢が叶ったとしてもそれが自分の「理想」と一致するとは限らない。「夢」というもの掴んだ瞬間すでにそれ自体「現実」であり、当然そこにギャップは起きてくるわけだ。だからといって、夢を棄てれば「勝者」になれるというようなシンプルなものではないから人生は難しいのだ。
夢を持ち続けるということは、同時に(それが実現しなかった場合に)費やした時間が無駄になるという明確で具体的なリスクを背負うことである。「夢追いかける人」がカッコ良く見えるのは、そのリスクを背負って堂々と生きているからなのかもしれない。
その決断力やロックな姿勢に仄かな憧れを感じる人も少なくはないだろう、残業を繰り返し経済的安定と引き換えにシステマチックな社会に身を捧げ生きる人間にとって。そういう「日常」から離れた良い意味での「バカ野郎」は見ていて気持ちが良いのだ。
夢を貫くか諦めるかという選択は、どちらが正しいというわけでもなく、結局のところ「結果論」なのだ。どちらが良いかなんて決められないし、決めちゃいけない。夢を追い続け実現させた人は「夢を諦めちゃいけない!」って胸を張って言うし、そうならなかった人は「現実を見ろ!」って怖い目をして言うのだろう。
どちらも正しいし間違っている、なぜならどちらも偶然性の塊だから。そして人は偶然性の塊に「運命」というなんとも素敵な言葉を後から与えるわけだ。「後から」って言うのがポイントだ、未来なんて誰にもわからないのだ
僕は「今」しかできないことを優先している、けっこう刹那的な思想ではあるが。僕の人生は「今」できることを夢中でやって今日までひたすら生きてきたようなところがある。あえて夢をいうなら具体的な職業とかよりも、まずは精神的な充実を求めたい。
「好きな友と好きな音楽を奏で、愛する人と最高の酒を飲む。」
ぶっちゃけていえば、正にコレだな。(笑)
殆どの人は夢を諦めて(或いは忘れて)、普通のサラリーマンなんかになっていくわけだ。しかし仮に夢が叶ったとしてもそれが自分の「理想」と一致するとは限らない。「夢」というもの掴んだ瞬間すでにそれ自体「現実」であり、当然そこにギャップは起きてくるわけだ。だからといって、夢を棄てれば「勝者」になれるというようなシンプルなものではないから人生は難しいのだ。
夢を持ち続けるということは、同時に(それが実現しなかった場合に)費やした時間が無駄になるという明確で具体的なリスクを背負うことである。「夢追いかける人」がカッコ良く見えるのは、そのリスクを背負って堂々と生きているからなのかもしれない。
その決断力やロックな姿勢に仄かな憧れを感じる人も少なくはないだろう、残業を繰り返し経済的安定と引き換えにシステマチックな社会に身を捧げ生きる人間にとって。そういう「日常」から離れた良い意味での「バカ野郎」は見ていて気持ちが良いのだ。
夢を貫くか諦めるかという選択は、どちらが正しいというわけでもなく、結局のところ「結果論」なのだ。どちらが良いかなんて決められないし、決めちゃいけない。夢を追い続け実現させた人は「夢を諦めちゃいけない!」って胸を張って言うし、そうならなかった人は「現実を見ろ!」って怖い目をして言うのだろう。
どちらも正しいし間違っている、なぜならどちらも偶然性の塊だから。そして人は偶然性の塊に「運命」というなんとも素敵な言葉を後から与えるわけだ。「後から」って言うのがポイントだ、未来なんて誰にもわからないのだ
僕は「今」しかできないことを優先している、けっこう刹那的な思想ではあるが。僕の人生は「今」できることを夢中でやって今日までひたすら生きてきたようなところがある。あえて夢をいうなら具体的な職業とかよりも、まずは精神的な充実を求めたい。
「好きな友と好きな音楽を奏で、愛する人と最高の酒を飲む。」
ぶっちゃけていえば、正にコレだな。(笑)
◆ 2003.05.25 Sun
人を感動させる
他人を感動させようとするなら、まず自分が感動せねばならない。
そうでなければ、いかに巧みな作品でも決して生命ではない。
これはミレーの有名な言葉である、自分もトレーナー(≒指揮者)やコンマスとして音楽を作っていく中で何度かこの言葉を引用したことがある。
確かに素晴らしい言葉だが、一般の人に適用することには一抹の危険を感じる、ここでミレーの言う感動というのは非常にクオリティーの高い「感動」なのではないだろうか。
自分で感じる「感動」というのは、ともすると独りよがりで普遍性を欠いてることが多いし、自分が作り上げたものには嫌でも愛着が湧いて、冷静で客観的な判断は下しにくいものである。そして「自己満足の芸術」というのもそれはそれでそれなりに楽しいのだ。
僕はそこに「危うさ」があると思う。
そうでなくとも、普通の凡庸な人間だと「自分が」感動するとそこで満足してしまう人は多いし、情調に没入して他人が見えなくなると大抵ろくな物は生まれない。実際その例を何度となく見てきたし、自分でも何度か痛感した経験がある。
音楽でいうならば演奏者だけが興奮していて、客が冷め切っているという悲惨な状況がそれだ。(天才肌の人間は没入する事でものすごい境地をみせてくれたりもするのだが。)
こんな当たり前の事を堂々と書くのはちょっと気が引けるが、やはり凡庸な人間が他人を感動させるためにはある程度の「努力」が必要だと思う、だから僕のような「凡人」は努力し続けるしかないんだろうなと思いながら日々音楽をしている。
しかし、「音楽」は基本的に楽しいものである、そしてそれこそが重要なポイントだと僕は思う。楽しみながら努力するという、理想的な形が取れるのは音楽の優れた点だと僕は思っている。
結局はミレーの言葉を一般人向けに置き換えるなら「他人を感動させようとするなら、まず自分が努力せねばならない」の方が適切なのかもしれない 。
もちろん「自分が感動する」ということは重要である、無情緒で冷め切った音楽では聴衆に何も伝えられないだろう。
しかし、その主語が「自分だけ」で終わるような感動にならぬように(聴衆に伝える)努力を続けていくことが、ここでは最も重要なのではないだろうか。
| Home |
