◆ 2003.07.29 Tue
「アニメ=オタク?」
「アニメ=オタク」の構図を作り出したのは、他でもないオタク自身じゃなかろうか。半端な「好き」は「わかってない」って捉えてくるおバカは実際多いわけで…そこに壁ができてしまう。良い作品が沢山あるだけに痛い現実だ、クラシックにもそういうおバカが多いけど。
「アニメは子供のものである」という概念もその構図を作った一つの要因と言えるかもしれない。しかし、もともと日本には大人になっても漫画を読むという特殊な文化形態があったし、アニメーションも大人のアニメ的なものが増えてきたので、その概念は今日ではむしろ崩壊し過去のものになりつつある。
押井守さんによる「甲殻機動隊」あたりからその傾向は色濃くなった気がする。哲学感とか人間の葛藤とか…そういう内的要因に満ちていて大人向けの映画は多い。続編である「イノセンス」には「人間とは、魂とは何か」という高度なテーマが織り込まれていて深い。
じゃあ未だにある「アニメ=オタク」のイメージは何故消えないのか?友人とその話してたら、こんな意見が…
厳しいしある意味タブーな意見だが、言い得て妙だなーとも思う。
「アニメは子供のものである」という概念もその構図を作った一つの要因と言えるかもしれない。しかし、もともと日本には大人になっても漫画を読むという特殊な文化形態があったし、アニメーションも大人のアニメ的なものが増えてきたので、その概念は今日ではむしろ崩壊し過去のものになりつつある。
押井守さんによる「甲殻機動隊」あたりからその傾向は色濃くなった気がする。哲学感とか人間の葛藤とか…そういう内的要因に満ちていて大人向けの映画は多い。続編である「イノセンス」には「人間とは、魂とは何か」という高度なテーマが織り込まれていて深い。
じゃあ未だにある「アニメ=オタク」のイメージは何故消えないのか?友人とその話してたら、こんな意見が…
基本的にかっこ悪いオタクが多すぎる、眼鏡かけた暗そうな人実際多いし。「アニメのカテゴリ」が「かっこ悪い人間のカテゴリ」と同居してしまってる。
厳しいしある意味タブーな意見だが、言い得て妙だなーとも思う。
◆ 2003.07.19 Sat
意思だけが残る
ショーペンハウエルって暗いなぁ。厭世的過ぎだよ…。
いくら僕でもそこまで厭世観持ってなかったよ。
自分の厭世観を覆されました。 そして未だに意味が分からない点。
人は死んだら個体としては滅亡し、知性も全てその瞬間に失われる。
しかし、意思だけが残る、ってどういう意味なんだ。 わからん。
ショーペンハウエルど素人な自分が考えてみるテスト。
誰でもショーペンハウエルのペシミスティックな言行にはショック受けるらしい。ショーペンハウエルに傾倒するとピアニストのヴァレリー・アファナシェフみたいな顔つきになっちゃうんだと思う。
アファナシェフも昔は温和な表情してたのに近年の変わりようは凄い、無駄なものを全て削ぎ落としたかのような表情、内面から溢れるようなオーラ。本当の芸術家とはああいう人をいうんじゃないかって思ったね。
話を戻すと「意思が残る」っていうのは、本人の意思そのものと解釈しない方がいいのではないだろうか。
それまでの人生でその人が、どれだけ愛され、どれだけかけがえのない存在だったか、その人と世界との接点や、その人へ注がれた他人からの感情の深さ。或いはその人が他人に残した愛、思いやり、憎悪とか…書いてたらキリが無いけれど。そういったものがその人が存在した「意味」であり、「意思」といえるんじゃないだろうか。
人が死んでいなくなる事によって、その純粋な「意味」だけに昇華される。それは、ほとんど「記号」みたいなものなのかも知れない。そして残された人々がそれに気づいた時にはもう遅い、これが人生の悲しいところだ。
残された人はそういった「記号」をかき集めてその人が存在していたことを確認するしかないのだ。
◆ 2003.07.09 Wed
オーボエ大好き
オーボエの音色が好きだ。まぁそのオーボエを聴くようになったのは、昔オーボエ吹きの子と付き合ったのがきっかけだったりしてちょっとほろ苦い理由なのだが。
個人的にはベルリン・フィル歴代の主席奏者を聴いてほしい。ローター・コッホなども有名だが、最近の人の新しい録音を聴くのも面白い。因みにBPOの歴代首席はコッホ→シュレンベルガー→マイヤーときている、本当に名手揃いだ。
僕はその中でもハンスイェルク・シュレンベルガーが1番好きだ。上品でスマートな演奏する人、コッホより地味な印象こそあるがその柔らかくて豊かな音には特別な魅力がある。現役のマイアーも上手いが、ちょっと音が鋭くて細い印象がある…結局は好みの問題だとは思うが。シュレンベルガーの基本音程は高め、どの音域でも均質の音色を出す技術には舌を巻く。DENONやDGから色々な録音が出ているので興味のある方は是非一度聴いていただきたい。
シュレンベルガーのCDの中で個人的に一番好きなのはDENONから出ているフランスのオーボエ作品が集められたアルバム。僕がシュレンベルガーを好きになるきっかけとなった思い出の一枚でもある。
オーボエ吹き(とりわけ音大生)には馴染みのある曲ばかりだが、普通の方は知らない曲ばかりだと思う。しかしこれがどれも本当に名曲揃いで聴き飽きない!残念ながらこのCDは現在では入手困難なようである、リンク先も在庫切れになってしまっているがサンサーンスのソナタと、プーランクのソナタの一部が試聴できるので曲の一片でだけでも聴いて欲しい。
え、なんでフランソワ・ルルーの名前が出てこないか?ルルーの名前を出さなかった理由はちゃんとある。世の女性オーボエ吹きはなぜか皆ルルーが好きという人が多いからだ、音大オーボエ吹きの子何人かと話してるとみんな「ルルーが好き!」という(たまたま僕の周りがそうだっただけかもしれないが…)。 だからもういいかーと思った(笑)。実際彼の音は好きな系統である。
ハインツ・ホリガーの音はなんか好きになれない、何でだろう。
個人的にはベルリン・フィル歴代の主席奏者を聴いてほしい。ローター・コッホなども有名だが、最近の人の新しい録音を聴くのも面白い。因みにBPOの歴代首席はコッホ→シュレンベルガー→マイヤーときている、本当に名手揃いだ。
僕はその中でもハンスイェルク・シュレンベルガーが1番好きだ。上品でスマートな演奏する人、コッホより地味な印象こそあるがその柔らかくて豊かな音には特別な魅力がある。現役のマイアーも上手いが、ちょっと音が鋭くて細い印象がある…結局は好みの問題だとは思うが。シュレンベルガーの基本音程は高め、どの音域でも均質の音色を出す技術には舌を巻く。DENONやDGから色々な録音が出ているので興味のある方は是非一度聴いていただきたい。
シュレンベルガーのCDの中で個人的に一番好きなのはDENONから出ているフランスのオーボエ作品が集められたアルバム。僕がシュレンベルガーを好きになるきっかけとなった思い出の一枚でもある。
1.オーボエ・ソナタ ニ長調 op.166 (サン=サーンス)
2.オーボエ・ソナタ (プーランク)
3.ファンタジーパストラール op.37 (ボザ)
4.オーボエ・ソナタ (デュティーユ)
5.アフター・シランクス (ベネット)
オーボエ吹き(とりわけ音大生)には馴染みのある曲ばかりだが、普通の方は知らない曲ばかりだと思う。しかしこれがどれも本当に名曲揃いで聴き飽きない!残念ながらこのCDは現在では入手困難なようである、リンク先も在庫切れになってしまっているがサンサーンスのソナタと、プーランクのソナタの一部が試聴できるので曲の一片でだけでも聴いて欲しい。
え、なんでフランソワ・ルルーの名前が出てこないか?ルルーの名前を出さなかった理由はちゃんとある。世の女性オーボエ吹きはなぜか皆ルルーが好きという人が多いからだ、音大オーボエ吹きの子何人かと話してるとみんな「ルルーが好き!」という(たまたま僕の周りがそうだっただけかもしれないが…)。 だからもういいかーと思った(笑)。実際彼の音は好きな系統である。
ハインツ・ホリガーの音はなんか好きになれない、何でだろう。
◆ 2003.07.08 Tue
「好きやねん」という言葉
何かの本に「好きやねん」という言葉について書かれていたのを覚えている。
調べてみたら大谷晃一さんという大学教授の本のなかの記述だった。結論からいうと、正しい大阪弁では「好っきゃねん」だという話。
本来この言葉は男女が愛を伝える時に使われるものだったらしい、従ってはっきり言うものではなく、恥じらいつつ呟くべき言葉だという。そしてそこに大阪人が元来持つ恥じらいやはにかみがあるというのだ。
確かに昔の日本には含羞(がんしゅう)の文化があった。いや、今でも淡くだがその文化は残っているような気がする。
日本人のカップルは「好き好き」言いまくるのを敬遠する人が多い。もちろん言葉の重みがなくなるのを防ぐという意図もあると思うが、その根底にあるのは「含羞」の気持ちなのかもしれない。
近年は日本も西欧化されたというか、恋愛観が幾分フランクになってる。でもそれは別に悪いことじゃないと思う。愛を素直に伝えられる環境…その中にも日本人特有のはにかみが顔を覗かせる瞬間はちゃんとあったりして。
そういう瞬間ってなんか嬉しくなる、微笑ましい。
調べてみたら大谷晃一さんという大学教授の本のなかの記述だった。結論からいうと、正しい大阪弁では「好っきゃねん」だという話。
本来この言葉は男女が愛を伝える時に使われるものだったらしい、従ってはっきり言うものではなく、恥じらいつつ呟くべき言葉だという。そしてそこに大阪人が元来持つ恥じらいやはにかみがあるというのだ。
確かに昔の日本には含羞(がんしゅう)の文化があった。いや、今でも淡くだがその文化は残っているような気がする。
日本人のカップルは「好き好き」言いまくるのを敬遠する人が多い。もちろん言葉の重みがなくなるのを防ぐという意図もあると思うが、その根底にあるのは「含羞」の気持ちなのかもしれない。
近年は日本も西欧化されたというか、恋愛観が幾分フランクになってる。でもそれは別に悪いことじゃないと思う。愛を素直に伝えられる環境…その中にも日本人特有のはにかみが顔を覗かせる瞬間はちゃんとあったりして。
そういう瞬間ってなんか嬉しくなる、微笑ましい。
◆ 2003.07.01 Tue
弦楽器の音程について
弦楽器の音程って結局は「意識」じゃなくて「精度」の問題だと思う。
音程は一生の課題だし、ましてビギナーのうちは常にズレていないか意識すべきだ。「意識」とは言いましたが、音程のチェックは本来「無意識」のレヴェルに近いところで行われるもの。常に疑心暗鬼にならないと音程を気にできない人は単に音階練習が足りな過ぎる気がする。
たとえ音感が無いような人でも 左手のフィジカルな訓練を重ねれば「ある水準」まで音程は取れるようになる。初心者が弦楽器を弾く時に指盤にシール張る本来の目的は指の開きの感覚を覚える「目安」をおくためだ。(しかし、僕はこのやり方が好きではない、目ばかり使って耳を使わなくなるから。詳しくは後述する)
その「ある水準」以上にするには「音感」を鍛える必要がある、フィジカルな訓練だけでは細かい音程の調整は困難だ。シールを見て指を置いていくのでは「音感」は全く働かないので、音階練習としては殆ど意味が無いわけだ。
そもそも全部442Hzにあわせてシール張ったりするわけだから、純正調とれないし。ある調性における、もっとも綺麗な音階をとることはできない。音感の良い初心者の弦楽器奏者が、すぐにシールを邪魔がって剥がしてしまう理由もそこにあると思う。
余談だが、弦楽器は「共鳴」が聴こえるようになると比較的楽に音程取れるようになる。楽器の方が「その音合ってるよ」って微かな共鳴出して教えてくれるから、あとはこちら側がそれを微かな声を聴きとる感覚を養えばいいわけだ。楽器が常に共鳴している状態に慣れてしまえばこっちのもの、そうなると曲を弾いてて大きく音程が外れることはほぼ無くなる。
でも何だかんだいって弦楽器は「相対音感」が重要だ、耳を鍛えるのが一番。ちなみに「絶対音感」はヴァイオリン弾きにはあんまり便利な能力じゃないので、無くても別に問題ないと思います。役立つのは指揮者か作曲家くらいのもんだと思う、実際のところ。
音程は一生の課題だし、ましてビギナーのうちは常にズレていないか意識すべきだ。「意識」とは言いましたが、音程のチェックは本来「無意識」のレヴェルに近いところで行われるもの。常に疑心暗鬼にならないと音程を気にできない人は単に音階練習が足りな過ぎる気がする。
たとえ音感が無いような人でも 左手のフィジカルな訓練を重ねれば「ある水準」まで音程は取れるようになる。初心者が弦楽器を弾く時に指盤にシール張る本来の目的は指の開きの感覚を覚える「目安」をおくためだ。(しかし、僕はこのやり方が好きではない、目ばかり使って耳を使わなくなるから。詳しくは後述する)
その「ある水準」以上にするには「音感」を鍛える必要がある、フィジカルな訓練だけでは細かい音程の調整は困難だ。シールを見て指を置いていくのでは「音感」は全く働かないので、音階練習としては殆ど意味が無いわけだ。
そもそも全部442Hzにあわせてシール張ったりするわけだから、純正調とれないし。ある調性における、もっとも綺麗な音階をとることはできない。音感の良い初心者の弦楽器奏者が、すぐにシールを邪魔がって剥がしてしまう理由もそこにあると思う。
余談だが、弦楽器は「共鳴」が聴こえるようになると比較的楽に音程取れるようになる。楽器の方が「その音合ってるよ」って微かな共鳴出して教えてくれるから、あとはこちら側がそれを微かな声を聴きとる感覚を養えばいいわけだ。楽器が常に共鳴している状態に慣れてしまえばこっちのもの、そうなると曲を弾いてて大きく音程が外れることはほぼ無くなる。
でも何だかんだいって弦楽器は「相対音感」が重要だ、耳を鍛えるのが一番。ちなみに「絶対音感」はヴァイオリン弾きにはあんまり便利な能力じゃないので、無くても別に問題ないと思います。役立つのは指揮者か作曲家くらいのもんだと思う、実際のところ。
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