◆ 2005.01.30 Sun
故郷
昔住んでいた家に久しぶりに行った。
大自然に囲まれた今は別荘のように使っている家。幼少期のほとんどを過ごしたこの場所は自分の原風景として心に刻まれている、ここを訪れるたびに僕の胸の奥から何か特別な感情がとめどなく込みあげてくる。
濁りのない抜けるような空、汚れなく澄み切った空気、家の周りを取り囲む豊かな森、柔らかく響く野鳥の囀り、井戸から沸き上がる、森に磨きぬかれた美味い水。言葉にするとなんだかベタな表現に収まってしまうがそれこそ絵に描いたような「自然」がここにはあるのだ。
とりわけ夜空の美しさは格別だった、濁りの無い空には数えきれないほどたくさんの星がキラキラと煌めく。それは太古から人間が見つめていた本当の空に違いない、空を見ているというよりは宇宙を見ている感覚に近い。
辺りには物音一つしないが眼前に広がる広大な「宇宙」を眺めていると、心の中で名も無き音楽が鳴り響くようだ。宇宙が1つのとてつもなく大きな生き物のように感じられる、その生き物が奏でる音楽は孤高の美しさを持っていた。
さて、家の中に入って「思い出の缶詰」を開けてみよう。かつての僕の部屋は当時のまま全てが残っていて、そこだけ時間が止まっているようだ。そのドアを開ける時はまるで思い出の缶詰を久しぶりに開くような感覚である。
壁にはやたら大きなビートルズのポスターが貼ってある、そのすぐ隣には自分がデザインした演奏会のポスター。古めかしい箱を明けるそこには中国で買った怪しい置物、オーストリアやロンドン行きの航空機のチケットがあった。こうやって観てみると意外に色々な所に行ってたものだ、自分を狭い世界から解き放ってくれた親に感謝しなければ。
そんな風にあれこれ掘り出していたら面白いものをみつけた。中学時代、生徒会長に立候補した時に使ったタスキである、正面には名前が書いてある、裏側には衝撃の文字が…
「慈愛に満ちた男。」
なんだそれは。パーティーグッズみたいじゃないか。実際の選挙ではもう一人の立候補者を押さえて9割近く票を集めて(9割ってアホな数字だ、独裁者になれる)当選してたから別に良かったんだが、今考えるとなんで当選できたのか分からなくなってくる。うっはっはー。
どうせなら「愛を取り戻せ。(北斗の拳)」とか書けばよかった。
大自然に囲まれた今は別荘のように使っている家。幼少期のほとんどを過ごしたこの場所は自分の原風景として心に刻まれている、ここを訪れるたびに僕の胸の奥から何か特別な感情がとめどなく込みあげてくる。
濁りのない抜けるような空、汚れなく澄み切った空気、家の周りを取り囲む豊かな森、柔らかく響く野鳥の囀り、井戸から沸き上がる、森に磨きぬかれた美味い水。言葉にするとなんだかベタな表現に収まってしまうがそれこそ絵に描いたような「自然」がここにはあるのだ。
とりわけ夜空の美しさは格別だった、濁りの無い空には数えきれないほどたくさんの星がキラキラと煌めく。それは太古から人間が見つめていた本当の空に違いない、空を見ているというよりは宇宙を見ている感覚に近い。
辺りには物音一つしないが眼前に広がる広大な「宇宙」を眺めていると、心の中で名も無き音楽が鳴り響くようだ。宇宙が1つのとてつもなく大きな生き物のように感じられる、その生き物が奏でる音楽は孤高の美しさを持っていた。
さて、家の中に入って「思い出の缶詰」を開けてみよう。かつての僕の部屋は当時のまま全てが残っていて、そこだけ時間が止まっているようだ。そのドアを開ける時はまるで思い出の缶詰を久しぶりに開くような感覚である。
壁にはやたら大きなビートルズのポスターが貼ってある、そのすぐ隣には自分がデザインした演奏会のポスター。古めかしい箱を明けるそこには中国で買った怪しい置物、オーストリアやロンドン行きの航空機のチケットがあった。こうやって観てみると意外に色々な所に行ってたものだ、自分を狭い世界から解き放ってくれた親に感謝しなければ。
そんな風にあれこれ掘り出していたら面白いものをみつけた。中学時代、生徒会長に立候補した時に使ったタスキである、正面には名前が書いてある、裏側には衝撃の文字が…
「慈愛に満ちた男。」
なんだそれは。パーティーグッズみたいじゃないか。実際の選挙ではもう一人の立候補者を押さえて9割近く票を集めて(9割ってアホな数字だ、独裁者になれる)当選してたから別に良かったんだが、今考えるとなんで当選できたのか分からなくなってくる。うっはっはー。
どうせなら「愛を取り戻せ。(北斗の拳)」とか書けばよかった。
◆ 2005.01.29 Sat
愛し合う理由
なぜカップルは手を繋ぎ、キスをし、セックスするのか。
ちょっとした機会があり、普段考えもしなかったそんなことを考えてしまった。「付き合っているから」という理由は一見しっくりくるけれども少し違和感がある。「好きだから」、それが最もシンプルな理由になるだろう。しかし好きであることが、手を繋ぐこと、キスをすること、セックスをすることへとストレートに結び付くとは思えない。
そういったものはカップルの行動の「類型」に過ぎないと思う、僕達はその類型に則することで、付き合っている自分達、愛し合う自分達を確認しているだけといって良いと思う。そう考えると、それらは絶対的に必要なものとはいえない。しかし肉欲を伴わない場合それは精神的な愛といえる、それを世間一般にプラトニックラブといっているわけだ。
なんだか当然のことをぐだぐだと書いてしまったが、要する僕はプラトニックな愛を貫いている人間でなくとも精神的に愛しているのは当然であるべきだと思っていて。
「付き合っているから」という記号的な理由だけで肉欲を満たし合うのはなんか違うんじゃないかと思ったわけだ、世の中にはまたそういうカップルが意外に多いみたいで。愛してなくても付き合えちゃうから人間って恐ろしいと思う。
まぁ若いうちは愚か過ぎてそこまで考えなかったが、最近そんなことをグダグダと考えてしまう自分。あーやだやだ。
ちょっとした機会があり、普段考えもしなかったそんなことを考えてしまった。「付き合っているから」という理由は一見しっくりくるけれども少し違和感がある。「好きだから」、それが最もシンプルな理由になるだろう。しかし好きであることが、手を繋ぐこと、キスをすること、セックスをすることへとストレートに結び付くとは思えない。
そういったものはカップルの行動の「類型」に過ぎないと思う、僕達はその類型に則することで、付き合っている自分達、愛し合う自分達を確認しているだけといって良いと思う。そう考えると、それらは絶対的に必要なものとはいえない。しかし肉欲を伴わない場合それは精神的な愛といえる、それを世間一般にプラトニックラブといっているわけだ。
なんだか当然のことをぐだぐだと書いてしまったが、要する僕はプラトニックな愛を貫いている人間でなくとも精神的に愛しているのは当然であるべきだと思っていて。
「付き合っているから」という記号的な理由だけで肉欲を満たし合うのはなんか違うんじゃないかと思ったわけだ、世の中にはまたそういうカップルが意外に多いみたいで。愛してなくても付き合えちゃうから人間って恐ろしいと思う。
まぁ若いうちは愚か過ぎてそこまで考えなかったが、最近そんなことをグダグダと考えてしまう自分。あーやだやだ。
◆ 2005.01.20 Thu
芸能人と一般人
芸能人はプライベートの方が可愛く見える。
…と思うのは僕だけだろうか。でも間違いない。テレビの企画で磯山さやかとワッキーがデートをするという企画をやっているのを観て、「磯山さやかは天才だ!」と叫びそうになった。磯山さやかはもともと可愛い女性だとは思うが、雑誌などで見る彼女よりもプライベートの彼女の方がずっと可愛く観えたのだ。これは何故だろう。
プライベートの映像にはわざと臭い照明や、過剰なメイクも無く、そこには「素」が現われる。僕達が日常見る女性は、いってみればすべて「素」の姿であり。私たちはその環境の中で、目に入る女性を可愛いだの可愛くないだのと勝手気ままに美醜を判断しているわけだ。
つまり女性の美しさを判断する基準のベースには当然のように「素が見える」環境があるわけだ。そしてその環境で見る女性は一般人であり、その美醜の基準も一般人に設定されている。(これを「一般的基準」とでも言っておこう。)
一方、芸能人は写真や映像などの作られた「絵」を見て、美醜の基準を作っている。(これを対として「芸能人的基準」としよう)こうやってみると、この二つの基準は実は異質なものであるということがわかる。
当然、「芸能人的基準」というのは純粋に比較したら「一般的基準」よりもグレードが高い。僕はそこにポイントがあるのではないかと思う。
それを元に叫びそうになるまでのプロセスをもう一度検証してみよう。つまりはこうだ。普段「芸能人的基準」の視点でしか見ていなかった磯山さやかが、その分け隔てられた壁を破って「素」の世界、すなわち「一般的基準」で見ている世界に飛び込んでくる。(といっても素の「映像」で、映像であることに変わりは無いが)
そして僕は一般人を見る基準のままで磯山さやかを目にしてしまう。もともとの基準が「芸能人的基準」よりも低いわけだから、「磯山さやかは天才だ!」と思わず叫びたくなるくらい美しく見えたのだと思う。
そう考えると僕が昔、町中で菊川怜に遭遇した時に、今回と同じように「天才だ!」と叫びたくなった訳も説明できてくる。そうか、そういうことだったのか。
…最近下らない事を真面目に書くのが好き。
…と思うのは僕だけだろうか。でも間違いない。テレビの企画で磯山さやかとワッキーがデートをするという企画をやっているのを観て、「磯山さやかは天才だ!」と叫びそうになった。磯山さやかはもともと可愛い女性だとは思うが、雑誌などで見る彼女よりもプライベートの彼女の方がずっと可愛く観えたのだ。これは何故だろう。
プライベートの映像にはわざと臭い照明や、過剰なメイクも無く、そこには「素」が現われる。僕達が日常見る女性は、いってみればすべて「素」の姿であり。私たちはその環境の中で、目に入る女性を可愛いだの可愛くないだのと勝手気ままに美醜を判断しているわけだ。
つまり女性の美しさを判断する基準のベースには当然のように「素が見える」環境があるわけだ。そしてその環境で見る女性は一般人であり、その美醜の基準も一般人に設定されている。(これを「一般的基準」とでも言っておこう。)
一方、芸能人は写真や映像などの作られた「絵」を見て、美醜の基準を作っている。(これを対として「芸能人的基準」としよう)こうやってみると、この二つの基準は実は異質なものであるということがわかる。
当然、「芸能人的基準」というのは純粋に比較したら「一般的基準」よりもグレードが高い。僕はそこにポイントがあるのではないかと思う。
それを元に叫びそうになるまでのプロセスをもう一度検証してみよう。つまりはこうだ。普段「芸能人的基準」の視点でしか見ていなかった磯山さやかが、その分け隔てられた壁を破って「素」の世界、すなわち「一般的基準」で見ている世界に飛び込んでくる。(といっても素の「映像」で、映像であることに変わりは無いが)
そして僕は一般人を見る基準のままで磯山さやかを目にしてしまう。もともとの基準が「芸能人的基準」よりも低いわけだから、「磯山さやかは天才だ!」と思わず叫びたくなるくらい美しく見えたのだと思う。
そう考えると僕が昔、町中で菊川怜に遭遇した時に、今回と同じように「天才だ!」と叫びたくなった訳も説明できてくる。そうか、そういうことだったのか。
…最近下らない事を真面目に書くのが好き。
◆ 2005.01.19 Wed
女性の化学反応
女性の中学生から高校生にかけての変化は凄い。
それは「進化」という言葉さえ相応しく響くような変化だ。中高にかけての変化といったが進学校の女の子の場合は、大学生になってから変身する傾向があるように思う。解放感と異性への興味が掛け合わさって化学反応が起きるのだ。
簡単にいうと「色気づく」ということだ。その大半は上手く行っているし、昔よりも魅力的になっていくものだが。悲しいことに逆もあるのだ。
中学時代可愛かった友達と久しぶりに再会したらギャル化してたというのはその良い例だと思う、僕は(失礼なことに)「退化してしまった」…と思った。もちろん僕がそもそもギャルが好きではないという要因も大きいのかもしれない。確かに頭の中で、「この子が普通のメイク&格好してたら可愛いのに…」と思っていたのは事実である。しかし僕はギャルでも可愛い人は可愛いと素直に感じる人間なのだ。
そこで、ふと考えたことがある。
「中学時代の可愛い女の子が可愛くなくなる」という、事実を1つの基準にするなら、「ギャル化する」という現象は女性的な可愛さが半減すると考えられる。とすると、「可愛いギャル」というのはどうだろう?ギャル化していても可愛いということは普通にしたらもう神といって良いくらい可愛いのかもしれないのだ。
なんとも安直な仮説だが…。
本当に可愛い人と付き合いたい面食いの男性諸君、普通の可愛い人を狙うのも良いとは思うのだが、ここは1つ「可愛いギャル」と付き合ってみよう。そしてお互いに親密になり、ギャルをやめさせる。清純派になったその女の子はもう敵なしといって良いくらい可愛い!…かもしれないですよ。ふふ。
さあ、渋谷へ行こう。
それは「進化」という言葉さえ相応しく響くような変化だ。中高にかけての変化といったが進学校の女の子の場合は、大学生になってから変身する傾向があるように思う。解放感と異性への興味が掛け合わさって化学反応が起きるのだ。
簡単にいうと「色気づく」ということだ。その大半は上手く行っているし、昔よりも魅力的になっていくものだが。悲しいことに逆もあるのだ。
中学時代可愛かった友達と久しぶりに再会したらギャル化してたというのはその良い例だと思う、僕は(失礼なことに)「退化してしまった」…と思った。もちろん僕がそもそもギャルが好きではないという要因も大きいのかもしれない。確かに頭の中で、「この子が普通のメイク&格好してたら可愛いのに…」と思っていたのは事実である。しかし僕はギャルでも可愛い人は可愛いと素直に感じる人間なのだ。
そこで、ふと考えたことがある。
「中学時代の可愛い女の子が可愛くなくなる」という、事実を1つの基準にするなら、「ギャル化する」という現象は女性的な可愛さが半減すると考えられる。とすると、「可愛いギャル」というのはどうだろう?ギャル化していても可愛いということは普通にしたらもう神といって良いくらい可愛いのかもしれないのだ。
なんとも安直な仮説だが…。
本当に可愛い人と付き合いたい面食いの男性諸君、普通の可愛い人を狙うのも良いとは思うのだが、ここは1つ「可愛いギャル」と付き合ってみよう。そしてお互いに親密になり、ギャルをやめさせる。清純派になったその女の子はもう敵なしといって良いくらい可愛い!…かもしれないですよ。ふふ。
さあ、渋谷へ行こう。
◆ 2005.01.14 Fri
体型に合う服
足の短い女性がブーツカットはくのは危険だ。
足の短さが強調されてしまいスタイルが悪く見える。あとやたら裾周り太いブーツカットもどうかと思う、裾がガバガバじゃ売れないロックスターみたいだ。足の美しさを引き立たせるために絞っているのに、それ自体が太かったらブーツカットはく意味はなくなる。
結論を行ってしまえば大抵の女性はスリムのジーンズをはいたほうが無難ということだ、トップスとの相性も、昨今の女性ファッション事情を考えてもスリムの方が相性が良く、着回しもきいて経済的じゃないかと思う。とはいってみたものの全体的に細身のブーツカットなら全然良いと思うし、身長の高い女性がブーツカットをはくともう敵無しといって良いくらい素敵にみえる。
要するに自分の体型にあったファッションをすることが最も重要ということになるだろう、常識ではあるが。でもそれを忘れてアンバランスな格好をしている女性は意外と多くて、僕はいつも「あぁ勿体ない!」と思っている。かく言う僕の身長は174cm、もう少し欲しかった。インポートブランドみてると180cmあったら着てたなーと思う服が沢山ある。
牛乳でも飲んでみるか。
足の短さが強調されてしまいスタイルが悪く見える。あとやたら裾周り太いブーツカットもどうかと思う、裾がガバガバじゃ売れないロックスターみたいだ。足の美しさを引き立たせるために絞っているのに、それ自体が太かったらブーツカットはく意味はなくなる。
結論を行ってしまえば大抵の女性はスリムのジーンズをはいたほうが無難ということだ、トップスとの相性も、昨今の女性ファッション事情を考えてもスリムの方が相性が良く、着回しもきいて経済的じゃないかと思う。とはいってみたものの全体的に細身のブーツカットなら全然良いと思うし、身長の高い女性がブーツカットをはくともう敵無しといって良いくらい素敵にみえる。
要するに自分の体型にあったファッションをすることが最も重要ということになるだろう、常識ではあるが。でもそれを忘れてアンバランスな格好をしている女性は意外と多くて、僕はいつも「あぁ勿体ない!」と思っている。かく言う僕の身長は174cm、もう少し欲しかった。インポートブランドみてると180cmあったら着てたなーと思う服が沢山ある。
牛乳でも飲んでみるか。
◆ 2005.01.02 Sun
ダメな販売員
地元のPaul Smithに行ったら販売員の対応が酷かった、関東から派遣された人とかいないらしく店員はオール地元人で接客全般が素人丸出しでダメだった。
まず「何かお探しですか?」といきなり言ってくるのは間違っている、大抵の客はビビっと来る商品があったら買いたいと思うわけで、「絶対今日はジャケットを買うぞ。」みたいにターゲットを限定して来る客は意外に少ない。
例えばニットが並んでる棚の前でお客さんが何度も鏡に向かって色々なニットをあてがったりしている時に初めて「トップスをお探しですか」と言ったり「このニットは…」と説明する程度が適切だと思う。
そもそも声をかけてくるタイミングも早すぎると思った、せめて一通り店の商品を見終わるまでは待って欲しい。いきなり「何かお探しですか?」はあまりふさわしくない。
「何か気に入った商品が在りましたらサイズお出しできますのでどうぞ。」とか「良かったら試着してみてくださいね。」とか、その程度にしておくのがセオリーじゃないだろうか。
逆にこっちから話しかけた時の受け答えも微妙だった、「コートと合うきれい目のパンツがあったら欲しい。」って言ったのにダメージフェイクのジーンズばかり出すし。
「この人本当にファッションわかってるのか?」と疑問に思った。そして対応に落ち着きなさ過ぎ、都心の店に研修にでも行ってその落ち着いた接客を学んできて欲しいものだ。
店員は「ブランドイメージを決める一要素」であるという自覚が足りなすぎるんだと思う。教育がなってないぜ!
まず「何かお探しですか?」といきなり言ってくるのは間違っている、大抵の客はビビっと来る商品があったら買いたいと思うわけで、「絶対今日はジャケットを買うぞ。」みたいにターゲットを限定して来る客は意外に少ない。
例えばニットが並んでる棚の前でお客さんが何度も鏡に向かって色々なニットをあてがったりしている時に初めて「トップスをお探しですか」と言ったり「このニットは…」と説明する程度が適切だと思う。
そもそも声をかけてくるタイミングも早すぎると思った、せめて一通り店の商品を見終わるまでは待って欲しい。いきなり「何かお探しですか?」はあまりふさわしくない。
「何か気に入った商品が在りましたらサイズお出しできますのでどうぞ。」とか「良かったら試着してみてくださいね。」とか、その程度にしておくのがセオリーじゃないだろうか。
逆にこっちから話しかけた時の受け答えも微妙だった、「コートと合うきれい目のパンツがあったら欲しい。」って言ったのにダメージフェイクのジーンズばかり出すし。
「この人本当にファッションわかってるのか?」と疑問に思った。そして対応に落ち着きなさ過ぎ、都心の店に研修にでも行ってその落ち着いた接客を学んできて欲しいものだ。
店員は「ブランドイメージを決める一要素」であるという自覚が足りなすぎるんだと思う。教育がなってないぜ!
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