◆ 2005.09.26 Mon

愛されたい気持ち

さっき、ある女性から電話が来た。いきなり告白された。

最近会ってなかったし、なんの伏線も無い状態でいきなり言われたので、僕の頭の中は酷く混乱した。「友達として上手くやって行きたい…」なんて有り触れたゴタクを並べて断ってしまったけれど、本当の「心」なんて、つきつめたら正直どうなのかわからない状態になっている自分に気付いた。

僕は「独り身」という今の身分を大いに楽しんでいると思う。でも淋しくないかといったら嘘になるし、「愛されたい」という漠然とした希望は、常にどこかに持っているんだなと思った。恥ずかしい話なのだけれど、自分を「好き。」といってくれる人が受話器の向こうにいるという事実だけで、僕の心は間違いなく揺れていた。

「自由」であるということは、同時に「孤独」であるということなんだと思う。僕という存在をどこかに繋ぎ止めてくれる人もいなければ、支えるべき人もいない。そんな瞬間に僕の頭の中に最初に浮かぶのは、宿命的に黒々とした深海をふわふわと漂うクラゲ。それは「心」も無ければ「意志」も無いような、寂寞とした世界に生きる自分だ。

「愛しているor愛していない」という二元論とは別のところに存在している「愛されたい」という欲望。

この欲望の悩ましくリスキーなところは、相手が誰かと言う事よりも、とにかく「愛されたい」という欲望が先立ってしまいがちなことだと思う。極論を言ってしまえば、相手が誰だって一緒にデートをすればそれなり楽しいし、セックスをすればそれなり気持ち良いのだ。セックスフレンドなんてある意味理想的だとさえいいたくなる。

そこで僕たちは何を大切にするべきなのか。それは、そこに「心」或いは「意志」があるかどうか、ということなのかもしれない。今日の電話での一連のやりとりは、僕にとっては「恋に恋する自分」との決別のようなものだったと思う。「恋」にではなく「人」に恋をしなければ…そんな思いが今の僕の中にはある。

なんてクソ真面目な人間ぶって有り触れた理想を語ってしまったが、やっぱり淋しいものは淋しい。告白を断っておいてしっかり凹んでいる自分に腹が立つ、こういう表面的で薄っぺらい大義のために、自分の欲望に正直になれない偽善的な自分も本当は大嫌いなんだと思う。嗚呼、凹むどころか自分に腹が立ってきた。この嘘つきめ。

本当は「恋がしたい」、ただそれだけなんだろうな。女々しいぜ。
◆ 2005.09.18 Sun

日本国民としての自分

日本国民…そう、僕は「日本国民」だ。

賢明な方はもうお気付きになっていると思うが、僕はネット上で政治などについて語ることを極力避けている。その理由はたぶん3つある。

1.政治的議論になると、何処からとも無く感じの悪い 理屈屋が登場して雰囲気が悪くなる。

2.政治的発言は互いにステレオタイプを作りかねず、幅広いコミュニケーションに支障を来たす。

3.そもそも政治の話題や意見交換で盛り上がる場所として、 ネットの世界を想定していない。

実際の所、昔から父さんと一緒に新聞やニュースを観たり、徹夜でテレ朝の「朝まで生テレビ」を観たりしていたせいもあり、僕は政治の話をすること自体は好きだったりする。結局は、不特定多数や赤の他人が介在する場所でそういう話をしたくないというだけだ。

郵政営化法案の否決によって突然始まった今回の総選挙は傍から見るには面白く、そして実際的には色んな意味において「危険な香り」のする選挙だった。「投票率上がると自民不利」なんて的外れな分析もあったが、結果は言うまでも無く自民の圧勝だった。

有権者の殆どは、「こんなに議席を獲得するとは…」と驚きと不安にみちた感情を覚えている頃だろう。このfever(熱病)により、素人同然の議員も政界に送り出された、こういう人も国民の税金で働くのか…ネタとしてはどこかシュールで面白いのだけれど、なんだか凄いことなってしまっているなという印象。

投票率が飛躍的に伸びた理由と自民党が圧勝した主な理由は…ってちょっと待て。

それらのことはメディアでは連日のように語りつくされているし、僕がここでエピゴーネンを繰り広げても無意味だ。やめよっと。

これから日本という国がどうなっていくのかを考えると、不安要素ばかりがちらついてペシミスティックな展望ばかり浮かんでしまうが。国民が政治に関心を持ったという点には一抹の「希望」を抱いている。それは本当に淡いものだが。

確かにマニフェストも読まずに、漠然としたイメージと雰囲気だけで投票してしまうようなリテラシー能力の未熟な国民が多いのが現実だ。しかし、それでも「興味が沸いた」という点は大きいと思う。僕の友人を見ていても、今までまったく政治に興味の無かったような人間達がいきなり真剣な顔をして政治を語り  始めたりして、その変化は確実に現われていると思う。

中高年者と話して思ったが彼らの多くは(悲しいけれど)堅物だ。今さら「政治を勉強しよう」なんて」思ったとしても仕事が忙しくて無理だし、退職した高年層になると既にポリシーが凝り固まっていてそれ以上変わりにくい。

一方で若い人間はこれから政治を学ぶことができる、ニュートラルで冷静で賢い有権者が多く育つ環境になって行ったら良いなと思う。国を正しく導いていくのは  究極的には「優秀な指導者」ではないと思っている、「優秀な有権者」がいなくては何も始まらないと思う。

というわけで、賛成とか反対とかそういう二元論とは  また違った視点から語ってみた。「優秀な有権者」、なんて叶わぬ幻想だけど、殆どの若者はこれだけ政治が動いてる「今」だって国政について考えたり語ったりしてないんだけど。読んでくれてありがとう。

話は少し変わるけど。

海外を旅してると、漠然とだが自分が日本という国に「守られている」と感じる瞬間が多い。パスポートをぼんやりと眺めていて目に入ってきた文章の下り

日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。

なんとなく思い出したように「日本国民か…」と思った、自分の国のことくらいはこれからも考えていきたい。

僕はどこへ行っても間違いなく「日本国民」だから。



この文章に対して次のようなコメントがよせられた。

海外に住んでいた事がある自分にとってもそのことはよく感じられたかな。日本人のほとんどが「日本」という国、そして「日本国民」であることを知らな過ぎると思います。そんなんじゃ外に出て通用しませんよね。

同感。色々な国の連中が集まった中で話す時に、自分は「日本」という看板と責任を背負っていて、その場にいる人間達は自分のことを「日本人」として見るしその価値観を「日本人の価値観」として集約した形で捉えてくる。 そういう環境の中では、「日本人たる自分」への自覚の薄かった人間はすぐに潰されてしまうのだろう、そして帰ってくると逆にアナーキーになってたりして。そういう人実際多い。

海外に行くことに対して、大半の人は「世界を見る」  といったようなイメージを持っているけど、実際は、「世界に見られる」という側面の方が多い気がする。
◆ 2005.09.15 Thu

弦楽器と管楽器の溝

弦楽器奏者全員=1つのパート(責任)=管楽器奏者1人

これは弦の立場から言うと理想論であって、現実として殆どのアマはそういう状況にない。管の立場から言うとプロアマに関わらず実際に、1つのパート(責任)が1人に与えられているという客観的事実がある。実際、弦1人が練習休むのと管1人が練習休むのでは大違いになってくる。

某氏の話によると、茂木先生の発言の中に、「Tp、Flトップ、ティンパニは曲をぶち壊せる」という言葉があるとか。まったくその通りだと思う。そういう意味では管楽器奏者は理想とかじゃなく、そういう厳しい状況下で演奏しているのだから本当に敬服する。

確かに僕もオケの中でヴァイオリンソロがある時は「命かかってる…」くらいの凄いプレッシャーを感じているので、それが日常茶飯事な管楽器って凄いなと思う。

ただアレですよ。弦楽器としてはこの考え方は、実現はなかなか出来ないけれど常に目指すべき「目標」として持ってる人は多く、それを管の人に「実際そうじゃないじゃん」否定されてしまうと、納得いかない気持ちになってしまうんだと思う。

弦セクションをまとめるのは大変なことである、学生オケに関して言うと毎年新しいクラスをまとめる新任教師のような大変さがある。そういう意味では全国の学生オケのトップを務めている方々には最大の敬意を払いたい。
◆ 2005.09.14 Wed

頑張れ音大生

今日は音大の子の人生相談してきた。

とにかく音大生っつーのは大変なのだ。簡単にいってしまうと、人生の早い時期に「音楽(楽器)で生きていく」と決めた人の集まり。でも早い時期に決めただけ悩みも尽きない。

突き詰めた時に「自分には音楽しかない」というプレッシャー。 いや、実際は決してそんなことないのだけど、それはある種の強迫観念に近いと思う。でもわかるなぁ…。

そんな酷く追い詰められた状況の中で、支えが無いと生きていけない、と思うのも、愛した相手に依存してしまうのもわかる。音大生って(僕の知る限り)気高そうに振舞ってる人間はけっこう多いんだけれど、その中身は凄く脆くて繊細だったりして。結構、いつでもそういうギリギリの所で「頑張っちゃってる」子が多いんだと思う。

がんばれ音大生。よく学び、よく遊べ。そして時々は肩の力を抜く事も忘れずに、素直な心が奏でる音楽は本当に美しい。
◆ 2005.09.12 Mon

オケに広がる個人主義

エキストラなどで色々なオケを覗いていて「全体よりも個人」という雰囲気の漂ってる団体に昔よりも頻繁にお目見えするようになった気がする。

「団員にはそれぞれの都合があって…」だとか、「オケにはそれぞれの関わり方があって…」とか、個人に重きを置いているような発言の数々は、聞こえはとても良いのだけれど、結局のところ、そういうスタンスで活動しているオケっていうのは中途半端な運営の元、酷い演奏をしている。

「楽しくやろう」とは誰もが言うが、その「楽しい」にも色々あるから難しい。「楽しい」のクオリティが低いオケはやっぱりイヤだ。僕は人数が少なくて、初心者の多いオケに教えに行ったりもしたが、彼らの運営と演奏にかける熱意は素晴らしかった。それに比べて都内には人数は沢山いるのに、集団意識やスタンスの面でグダグダな団体が多く「勿体無いなぁ」といつも思う。時代の流れだろうか。

でもそういわれると僕の在籍しているR教オケはどうだろう?うちの場合は逆に「音楽本当に楽しんでますか?」と聞きたくなるような雰囲気が漂い始めている。みんな辛そうな顔をして演奏している時がある。

音楽的には決して間違った内容はやっていない、綿密な打ち合わせの元にしっかりと練習している。ただ先生に応えなきゃという気持ちが先立ってて、音楽を「楽しい」と感じる感覚を忘れかけてるような…そんな気がしてならない。気のせいだと良いが。

音楽が「楽しく」なきゃ成長にも限界が出てくる、支配的じゃだめなんだよな。音楽が「萎縮」してく。ここが難しい、このバランスは永遠の課題だな。
◆ 2005.09.11 Sun

孤独な衛星

外を歩いていたらお囃子が聞こえてきた。

今日は僕の住んでいる地域でお祭りがあるらしい、御輿を担いだり太鼓を叩いたりしている子供達の姿はとても愛らしく見ていて心が暖かくなった。

…でも何か淋しかった。

僕の中に在る「祭り」とは何かが違っている。知らない場所の、知らない人間達の祭り…そこに僕は含まれていないんだと感じた。

僕は「祭り」という言葉を聞くと、「故郷」を思い出す。そこには懐かしい土地があり、懐かしい仲間がいる…祭りとはそういうものだと無意識に考えているのだろう。

自分がそこに含まれていない淋しさ、浮遊感。村上春樹の作品のひと下りをふと思い出した。

彼らは孤独な金属の塊として、さえぎるものもない宇宙の暗黒の中でふとめぐり合い、すれ違い、そして永遠に別れていくのだ。交わす言葉もなく、結ぶ約束もなく。

東京という名の真っ黒な宇宙を彷徨う孤独な衛星、 3年経っても僕はまだ「スプートニク号」のままだな。

Frei aber einsam (自由に、しかし孤独に…)


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