◆ 2006.06.22 Thu
「愛国心」という勘違い
ワールドカップ真っ盛り。
友人から「こんな時期に、まったくもってこのサイトでサッカーの話をしないのは不自然だ!」と言われた。はっきり言って大きなお世話だが、言われてみると確かにそうだ。
だからといって、僕はサッカーが嫌いというわけではない。毎晩試合は欠かさずチェックしているし、友人と日本戦について熱く議論を交わしたりしているミーハーな若者の一人である。
しかし、僕はここで(多くの人間がそうしているように)日本チームについて非難することも、逆に応援することもしようとは思わない。多くの人間が既に感じていることを、文章にして他人に読ませたところでなにも生まれないからだ。
タダ1つ心配なのは、日本代表の平均年齢の高さ。次の時代を担う若手の育成無しに長いスパンで強いチーム作りをすることは難しいのだから、「教育」という部分にウェイトを置くことは重要だ。
ちなみに今回一番応援しているチームはイングランド、ブラジルも確かに強いけれど波が大きいから攻守のバランスの良さやチームの状態を考えるとイングランドが優勝するのではないかと思っている。(まぁ40年も優勝してないチームだけど…)ベッカムのアシストも冴えているし、ジェラードの勝負強さも心強い。
まぁどこが勝つにしろ、毎晩素晴らしいプレーを楽しめるだけで満足しているのでどこでも良いや。(笑)
…ってそうじゃないんだって!
そんなB級解説者みたいなことが書きたかったわけではなくて、僕が書きたかったのはワールドカップそのものではなく、「ナショナリズムとの関係」についてだった。
連日のワールドカップを見ていると、どこの国も熱狂的な応援をし喜怒哀楽をむき出しにする姿がみられ、「これがナショナリズムかぁ…」なんてふと考えたりする。それは日本サポーターとて同じである。
教育基本法に関する「愛国心」についての議論が盛り上がっていたが、同じ時期にワールドカップが開催されたため一部マスコミはこれを結びつけて「サポーターの中には愛国心があるじゃないか、日本人には愛国心があるんだよ」的な論評を繰り広げていた。僕はそれを聞いたときに、「なんてテキトーなこといってやがるんだ!」と思った。それは安直過ぎるよ。
たしかに敗戦以後、「ナショナリズム」を戦争の一因とし否定しながら、どちらかというとマルクス的な考え方によって日本は今日まで歩んできた。そもそも「ナショナリズム」を戦争勃発のリスクとして捉える動きもよくわからない。
戦争というものは国家権力者の争いであって、そこに国民を扇動するために「ナショナリズム」が悪用された歴史があるというだけだ。ナショナリズムそのものから戦争が生まれるというわけではない、発想が逆だよ!と言いたい。
そんなこんなで「愛国心」というものを危険なものとして必要以上にタブー視している人間は頭が悪いなーと個人的には思っている。そういう人間は一度海外に放浪の旅をすることを強く薦めたい、意外と国際経験の無い生粋の島国人ほど「愛国心」というものを本当はよくわかっていないし、ナショナリズムに対する価値観も安直なのである。
ほら、自分の教育の非を認めず、学校に文句ばっかり言っているそこのあなたですよ。奥さん!(笑)
まぁ、それは置いておくとしても現実として日本にはナショナリズム教育はまったく無いわけだから、そういうものを感じさせる(或いは感じる)場所はワールドカップやオリンピックのような「スポーツ」に限られているように思われる。しかし、考えれば考えるほど今回の日本サポーターの盛り上がりは「愛国心」というのとはちょっと違うと思う。
これは「お祭り騒ぎ」に近いもののように思う、つまりそこにナショナリズムのように永続的な精神は感じられないのだ。実際、大会が終わってしまえば殆どの人間は日常に返り、あの盛り上がりは何だったんだろうというような気持ちになるだろう。
「盛り上がり」という言葉がキーワードだ、我々は盛り上がりたいだけであって、盛り上がれれば何でも良いのである。否定的な意味は無い、僕も思いっきりその一人なのだから。(笑)
しかし、これを「ナショナリズム」と結びつけるマスコミの安直さはどうだろうか。まぁいいけど。テレビから流れてるからってなんでも鵜呑みにしないようにして欲しい、イエロー・ジャーナリズムを鵜呑みにせず自分で新聞読んで、本読んで、自分の頭で考えるということを忘れて欲しくないと思う。
日本文学や文化に触れればわかるように、日本には他の追随を許さぬような「繊細な感覚」というべきものが存在している、繊細な感受性だけは失って欲しくないなぁと思う。
友人から「こんな時期に、まったくもってこのサイトでサッカーの話をしないのは不自然だ!」と言われた。はっきり言って大きなお世話だが、言われてみると確かにそうだ。
だからといって、僕はサッカーが嫌いというわけではない。毎晩試合は欠かさずチェックしているし、友人と日本戦について熱く議論を交わしたりしているミーハーな若者の一人である。
しかし、僕はここで(多くの人間がそうしているように)日本チームについて非難することも、逆に応援することもしようとは思わない。多くの人間が既に感じていることを、文章にして他人に読ませたところでなにも生まれないからだ。
タダ1つ心配なのは、日本代表の平均年齢の高さ。次の時代を担う若手の育成無しに長いスパンで強いチーム作りをすることは難しいのだから、「教育」という部分にウェイトを置くことは重要だ。
ちなみに今回一番応援しているチームはイングランド、ブラジルも確かに強いけれど波が大きいから攻守のバランスの良さやチームの状態を考えるとイングランドが優勝するのではないかと思っている。(まぁ40年も優勝してないチームだけど…)ベッカムのアシストも冴えているし、ジェラードの勝負強さも心強い。
まぁどこが勝つにしろ、毎晩素晴らしいプレーを楽しめるだけで満足しているのでどこでも良いや。(笑)
…ってそうじゃないんだって!
そんなB級解説者みたいなことが書きたかったわけではなくて、僕が書きたかったのはワールドカップそのものではなく、「ナショナリズムとの関係」についてだった。
連日のワールドカップを見ていると、どこの国も熱狂的な応援をし喜怒哀楽をむき出しにする姿がみられ、「これがナショナリズムかぁ…」なんてふと考えたりする。それは日本サポーターとて同じである。
教育基本法に関する「愛国心」についての議論が盛り上がっていたが、同じ時期にワールドカップが開催されたため一部マスコミはこれを結びつけて「サポーターの中には愛国心があるじゃないか、日本人には愛国心があるんだよ」的な論評を繰り広げていた。僕はそれを聞いたときに、「なんてテキトーなこといってやがるんだ!」と思った。それは安直過ぎるよ。
たしかに敗戦以後、「ナショナリズム」を戦争の一因とし否定しながら、どちらかというとマルクス的な考え方によって日本は今日まで歩んできた。そもそも「ナショナリズム」を戦争勃発のリスクとして捉える動きもよくわからない。
戦争というものは国家権力者の争いであって、そこに国民を扇動するために「ナショナリズム」が悪用された歴史があるというだけだ。ナショナリズムそのものから戦争が生まれるというわけではない、発想が逆だよ!と言いたい。
そんなこんなで「愛国心」というものを危険なものとして必要以上にタブー視している人間は頭が悪いなーと個人的には思っている。そういう人間は一度海外に放浪の旅をすることを強く薦めたい、意外と国際経験の無い生粋の島国人ほど「愛国心」というものを本当はよくわかっていないし、ナショナリズムに対する価値観も安直なのである。
ほら、自分の教育の非を認めず、学校に文句ばっかり言っているそこのあなたですよ。奥さん!(笑)
まぁ、それは置いておくとしても現実として日本にはナショナリズム教育はまったく無いわけだから、そういうものを感じさせる(或いは感じる)場所はワールドカップやオリンピックのような「スポーツ」に限られているように思われる。しかし、考えれば考えるほど今回の日本サポーターの盛り上がりは「愛国心」というのとはちょっと違うと思う。
これは「お祭り騒ぎ」に近いもののように思う、つまりそこにナショナリズムのように永続的な精神は感じられないのだ。実際、大会が終わってしまえば殆どの人間は日常に返り、あの盛り上がりは何だったんだろうというような気持ちになるだろう。
「盛り上がり」という言葉がキーワードだ、我々は盛り上がりたいだけであって、盛り上がれれば何でも良いのである。否定的な意味は無い、僕も思いっきりその一人なのだから。(笑)
しかし、これを「ナショナリズム」と結びつけるマスコミの安直さはどうだろうか。まぁいいけど。テレビから流れてるからってなんでも鵜呑みにしないようにして欲しい、イエロー・ジャーナリズムを鵜呑みにせず自分で新聞読んで、本読んで、自分の頭で考えるということを忘れて欲しくないと思う。
日本文学や文化に触れればわかるように、日本には他の追随を許さぬような「繊細な感覚」というべきものが存在している、繊細な感受性だけは失って欲しくないなぁと思う。
◆ 2006.06.18 Sun
サトコウありがとう
今日は佐藤功太郎先生の葬儀と告別式に行ってきた。
会場の寛永寺輪王殿には先生の死を悼む沢山の人で溢れかえっていた、著名な音楽家始め沢山の有名人の方も参列していて、改めて佐藤先生の温かい人間性に裏打ちされた人脈の広さを感じる。
その中には同じように佐藤先生にお世話になっていた立教オケ、同志社オケ、芸大関係者などを中心に顔見知りの人が沢山参列していた。しかし再会を喜び合うような空気は微塵もなく、このような訃報に際し再会してしまうことが残念でならなかった。
この訃報を嘆き悲しむかのように空は白く曇り、まるで涙のように雨が大地を湿らせている。祭壇の真横で有志によって編成されたオーケストラと合唱がいて、先生の好きだったモーツァルトの作品が次々と演奏される。レクイエムの涙の日(Sequentia-Lacrimosa)、アヴェ・ヴェルム・コルプス(Ave verum corpus)…嘆きと癒しが混同されたようなその旋律は僕の心を強く揺さぶった。
焼香をするために祭壇に向かっている僕の心の中には、その音楽によって引き出されたかように佐藤先生との思い出が次々と蘇ってくる…涙が止まらなかった。祭壇の上には先生の大きな写真が飾ってある、いつか見た太陽のように素敵な「あの笑顔」だ。
会場内の一角には先生の写真や指揮を振る映像などが並べられている、晩年の先生はすっかり痩せていて髪の毛も薄くなっていたが「あの笑顔」だけはずっと変わらなかった。
62歳という年齢は指揮者としてはまだまだ活躍できる年齢であったし、先生自身も「まだまだ振り続けたい」という意志を持っていたことを考えると悔やまれることは多い。きっと一番それを悔やんでいるのは先生ご自身だろう。
しかし実は昨年の6月には余命3ヵ月という診断がくだされていたのだそうだ、それにもかかわらず実に11ヵ月も生き、あのように精力的に活動を続けていたのだという事実を奥さんから聞いたときは鳥肌が立った。
先生は自分の人生を力強く「生き抜いた」のだ、強靭な意志と音楽への深い愛情によって先生は音楽家のまま天国へと旅立ったのだ。
告別式が終わった後は、久しぶりに再会した同志社オケで僕と同期でコンサートマスターを務めていたE子と供養として飲みに行くことになった。しかし時間が早く、どこの飲み屋も開いていなかったので近くのカフェに入り昔のように色々な話をした。
お互いにコンマスとして佐藤先生とは近い場所にいた経験があるので、E子の胸の中にも様々な思い出が去来していたことだろう、涙で少しだけ腫れた目の向こう側に深い悲しみがはっきりと映し出されていた。
話は尽きず、二時間以上も話し込んでしまった。演奏会での再会を誓いE子と別れた。家に着くと、ヴァイオリンケースを開けて楽器を弾いた。とても楽器を弾く気分にはなれなかったけど、「辛い時、悲しい時こそ音楽をしなければ…」と思ったから。
今は部屋でモーツァルトのレクイエムを聴きながらこの文章を打っている、今日感じたこの気持ちを、そして何より佐藤功太郎という偉大な指揮者がこの世界に存在していたことを忘れてはいけないと思ったから、こうやって文章として書きとめておくことにした。
改めて佐藤先生のご冥福を心からお祈りしたい。佐藤先生、本当にお疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。
会場の寛永寺輪王殿には先生の死を悼む沢山の人で溢れかえっていた、著名な音楽家始め沢山の有名人の方も参列していて、改めて佐藤先生の温かい人間性に裏打ちされた人脈の広さを感じる。
その中には同じように佐藤先生にお世話になっていた立教オケ、同志社オケ、芸大関係者などを中心に顔見知りの人が沢山参列していた。しかし再会を喜び合うような空気は微塵もなく、このような訃報に際し再会してしまうことが残念でならなかった。
この訃報を嘆き悲しむかのように空は白く曇り、まるで涙のように雨が大地を湿らせている。祭壇の真横で有志によって編成されたオーケストラと合唱がいて、先生の好きだったモーツァルトの作品が次々と演奏される。レクイエムの涙の日(Sequentia-Lacrimosa)、アヴェ・ヴェルム・コルプス(Ave verum corpus)…嘆きと癒しが混同されたようなその旋律は僕の心を強く揺さぶった。
焼香をするために祭壇に向かっている僕の心の中には、その音楽によって引き出されたかように佐藤先生との思い出が次々と蘇ってくる…涙が止まらなかった。祭壇の上には先生の大きな写真が飾ってある、いつか見た太陽のように素敵な「あの笑顔」だ。
会場内の一角には先生の写真や指揮を振る映像などが並べられている、晩年の先生はすっかり痩せていて髪の毛も薄くなっていたが「あの笑顔」だけはずっと変わらなかった。
62歳という年齢は指揮者としてはまだまだ活躍できる年齢であったし、先生自身も「まだまだ振り続けたい」という意志を持っていたことを考えると悔やまれることは多い。きっと一番それを悔やんでいるのは先生ご自身だろう。
しかし実は昨年の6月には余命3ヵ月という診断がくだされていたのだそうだ、それにもかかわらず実に11ヵ月も生き、あのように精力的に活動を続けていたのだという事実を奥さんから聞いたときは鳥肌が立った。
先生は自分の人生を力強く「生き抜いた」のだ、強靭な意志と音楽への深い愛情によって先生は音楽家のまま天国へと旅立ったのだ。
告別式が終わった後は、久しぶりに再会した同志社オケで僕と同期でコンサートマスターを務めていたE子と供養として飲みに行くことになった。しかし時間が早く、どこの飲み屋も開いていなかったので近くのカフェに入り昔のように色々な話をした。
お互いにコンマスとして佐藤先生とは近い場所にいた経験があるので、E子の胸の中にも様々な思い出が去来していたことだろう、涙で少しだけ腫れた目の向こう側に深い悲しみがはっきりと映し出されていた。
話は尽きず、二時間以上も話し込んでしまった。演奏会での再会を誓いE子と別れた。家に着くと、ヴァイオリンケースを開けて楽器を弾いた。とても楽器を弾く気分にはなれなかったけど、「辛い時、悲しい時こそ音楽をしなければ…」と思ったから。
今は部屋でモーツァルトのレクイエムを聴きながらこの文章を打っている、今日感じたこの気持ちを、そして何より佐藤功太郎という偉大な指揮者がこの世界に存在していたことを忘れてはいけないと思ったから、こうやって文章として書きとめておくことにした。
改めて佐藤先生のご冥福を心からお祈りしたい。佐藤先生、本当にお疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。
◆ 2006.06.15 Thu
サトコウとの思い出
指揮者の佐藤功太郎先生が亡くなった。
15日の午前1時03分に、十二指腸癌のため、療養中の順天堂大学病院にて死去したという。享年62歳だった。佐藤先生とは毎年メサイア演奏会で共演していたこともあり、個人的な親交も深かったので本当にショックで言葉がでなかった。久しぶりに涙が零れた、家族を失ったような喪失感である。
僕にとって佐藤先生との最後の演奏会になった、2005年12月7日のメサイア演奏会本番とそれまでの練習の日々は、今も忘れられぬ思い出として僕の脳裏に焼きついている。当時僕はコンサートマスターを務めていたこともあって、練習中はもちろん休憩時間にはいつも同じ控え室でお茶を飲みながら色々な話をしていたのをよく覚えている。
佐藤先生はこの頃から入退院を繰り返していて、tuttiも限られた回数と限られた時間の中で進んでいった。その当時、団員達には「体調が悪いため」と説明するに留めておいたが、僕はその当時から佐藤先生が癌を患っていたことを知っていた。
先生は命を懸けて病魔と闘いながら指揮台に上がっている…そう考えるだけで僕はいてもたってもいられなくなった、とり憑かれたように練習に励む日々が続いた。
僕はマッサージが得意だったので、決まって休憩時間になると佐藤先生の背中を揉んでいた。佐藤先生は僕のマッサージがとても気に入っていて、本番の日の朝も楽屋で佐藤先生の背中を揉みながら話をした。その時のことを今でも鮮明に覚えているのでここに書きとめておきたい。
その日の佐藤先生の指揮は本当に正確で力強く、生命力に満ち溢れていた。その病気を感じさせぬ素晴らしい指揮に僕は圧倒され敬服し、心からの憧憬と共感を持ってヴァイオリンを弾いた。
今改めてその対話のやりとりを振り返ってみると、当時から先生は自分の死をうっすらと予感していて、指揮者として生涯を終えたいという強い意志によって指揮台に立ち続けていたということがわかる。
そんなことを今思い返していたらなんだか涙がとまらなくなった。先生に教えていただいた音楽、一緒に交わした沢山の話は忘れられぬ思い出として僕の中に今も息づいている。
そして何より、あの本番で見せた「音楽家の魂」を、一緒に作り上げたあの「メサイア演奏会」を、僕は一生忘れないだろう。佐藤先生、本当にありがとう…。
ご冥福をお祈りいたします。
15日の午前1時03分に、十二指腸癌のため、療養中の順天堂大学病院にて死去したという。享年62歳だった。佐藤先生とは毎年メサイア演奏会で共演していたこともあり、個人的な親交も深かったので本当にショックで言葉がでなかった。久しぶりに涙が零れた、家族を失ったような喪失感である。
僕にとって佐藤先生との最後の演奏会になった、2005年12月7日のメサイア演奏会本番とそれまでの練習の日々は、今も忘れられぬ思い出として僕の脳裏に焼きついている。当時僕はコンサートマスターを務めていたこともあって、練習中はもちろん休憩時間にはいつも同じ控え室でお茶を飲みながら色々な話をしていたのをよく覚えている。
佐藤先生はこの頃から入退院を繰り返していて、tuttiも限られた回数と限られた時間の中で進んでいった。その当時、団員達には「体調が悪いため」と説明するに留めておいたが、僕はその当時から佐藤先生が癌を患っていたことを知っていた。
先生は命を懸けて病魔と闘いながら指揮台に上がっている…そう考えるだけで僕はいてもたってもいられなくなった、とり憑かれたように練習に励む日々が続いた。
僕はマッサージが得意だったので、決まって休憩時間になると佐藤先生の背中を揉んでいた。佐藤先生は僕のマッサージがとても気に入っていて、本番の日の朝も楽屋で佐藤先生の背中を揉みながら話をした。その時のことを今でも鮮明に覚えているのでここに書きとめておきたい。
佐藤先生:「今日は良い天気だなぁ。」
僕:「今日は体調いかがですー?」
佐藤先生:「昨日は微熱があったんだけど今日は調子が良いよ。君のマッサージは本当に気持ちが良いなぁ。」
僕:「どうも。今日は良い演奏会にしましょうね、僕も全てを出し切ってオケの最高のポテンシャルを引き出そうと思います。」
佐藤先生:「僕も今日は頑張るよ、もうステージも残り少ないだろうからね。」
僕:「先生の頑張る姿には本当に勇気を貰ってますよ、自分をそこまでさせる一番の原動力はなんなんですか?」
佐藤先生:「指揮者として一生を終える、それが僕の願いだからね。指揮台に立てる限りは指揮台に立っていたいんだ。」
僕:「…僕、がんばります。先生の音楽についていきます」
佐藤先生:「嬉しいよ。マッサージ有り難う。じゃ、本番よろしくねー。」
僕:「はい!ではまたのちほど、よろしくお願いします!」
その日の佐藤先生の指揮は本当に正確で力強く、生命力に満ち溢れていた。その病気を感じさせぬ素晴らしい指揮に僕は圧倒され敬服し、心からの憧憬と共感を持ってヴァイオリンを弾いた。
今改めてその対話のやりとりを振り返ってみると、当時から先生は自分の死をうっすらと予感していて、指揮者として生涯を終えたいという強い意志によって指揮台に立ち続けていたということがわかる。
そんなことを今思い返していたらなんだか涙がとまらなくなった。先生に教えていただいた音楽、一緒に交わした沢山の話は忘れられぬ思い出として僕の中に今も息づいている。
そして何より、あの本番で見せた「音楽家の魂」を、一緒に作り上げたあの「メサイア演奏会」を、僕は一生忘れないだろう。佐藤先生、本当にありがとう…。
ご冥福をお祈りいたします。
◆ 2006.06.14 Wed
岩城宏之という男
指揮者の岩城宏之さんが亡くなった。
13日の午前0時20分に心不全のため都内の病院で死去した。73歳。最後の演奏会は5月24日に紀尾井ホールで行われた演奏会で、車いすに座ったままタクトを振っていたそうだ。26日のリハーサル後に体調不良を訴え、都内の病院に入院していたそうだ。入院中も「衰えないようにしなくちゃ」と指揮棒を振り続けていたという、彼は最後まで音楽家のまま生涯を終えたのだ。
岩城さんの演奏というと去年の大晦日に足を運んだベートーヴェン交響曲全曲演奏会が思い出深い、70歳を越える高齢でこのモンスター級のプロジェクト(一晩で10時間もの演奏時間!)に挑もうとする挑戦心には本当に敬服した。岩城さんのタクトから生まれてくる音楽は全ての旋律が実に生き生きと聴こえてきた、本当に美しく雄弁なベートーヴェンだった。
今までに20回以上も手術をし、様々な病気を乗り越えてきた岩城さん。決して万全とはいえない体調の中でのあの力強い指揮、「この小さな体のどこからこんなパワーが出てくるのか…」と驚愕したのを覚えている。あの演奏会から約6ヶ月…突然の訃報は本当にショックだった。
この国から偉大な指揮者がまた一人いなくなってしまった、今年もベートーヴェン交響曲全曲演奏会に足を運ぼうと思っていただけに本当に残念でならない。しかし、彼の残した音楽は今も僕の心の中で響き続けているし、きっと聴衆の心の中に岩城さんは生き続けていくことだろう。本当にお疲れ様でした。
ご冥福をお祈りいたします。
13日の午前0時20分に心不全のため都内の病院で死去した。73歳。最後の演奏会は5月24日に紀尾井ホールで行われた演奏会で、車いすに座ったままタクトを振っていたそうだ。26日のリハーサル後に体調不良を訴え、都内の病院に入院していたそうだ。入院中も「衰えないようにしなくちゃ」と指揮棒を振り続けていたという、彼は最後まで音楽家のまま生涯を終えたのだ。
岩城さんの演奏というと去年の大晦日に足を運んだベートーヴェン交響曲全曲演奏会が思い出深い、70歳を越える高齢でこのモンスター級のプロジェクト(一晩で10時間もの演奏時間!)に挑もうとする挑戦心には本当に敬服した。岩城さんのタクトから生まれてくる音楽は全ての旋律が実に生き生きと聴こえてきた、本当に美しく雄弁なベートーヴェンだった。
今までに20回以上も手術をし、様々な病気を乗り越えてきた岩城さん。決して万全とはいえない体調の中でのあの力強い指揮、「この小さな体のどこからこんなパワーが出てくるのか…」と驚愕したのを覚えている。あの演奏会から約6ヶ月…突然の訃報は本当にショックだった。
この国から偉大な指揮者がまた一人いなくなってしまった、今年もベートーヴェン交響曲全曲演奏会に足を運ぼうと思っていただけに本当に残念でならない。しかし、彼の残した音楽は今も僕の心の中で響き続けているし、きっと聴衆の心の中に岩城さんは生き続けていくことだろう。本当にお疲れ様でした。
ご冥福をお祈りいたします。
◆ 2006.06.12 Mon
待っている人
最近一人で過ごす時間が多い。そこでふと思う。
「待っている人がいる」ということは人間にとっては「帰る場所がある」ということよりずっと重要なことなのかもしれない。
人との関係性によって故郷は初めて故郷としての意味を持つ、自分がそこで生まれ育ったという既成事実をいくら積み上げてみても、そこに待っている人がいなければ意味が無いのだと。
多くの人間が自分が「死ぬこと」より、本当は「忘れられること」を恐れているように。(そうこの世界に生きる人間の誰もが「芸人」なのだ!)
結局私達が恐れているのは精神的な意味での「喪失」であって、だから日常に潜む「無関心」への恐怖に今日も沢山の人が怯えているんだと思う。
家の玄関を開けたときに、「おかえり」といってくれる人がいる人はその「日常」に感謝すべきだ。
時々狂ったようにお互いを求め合う人間の心には単に「性欲」だけでは説明できない部分が多い、それが日常に潜むそれらの「恐怖」への抵抗であるように僕には思えてくるのだ。
「待っている人がいる」ということは人間にとっては「帰る場所がある」ということよりずっと重要なことなのかもしれない。
人との関係性によって故郷は初めて故郷としての意味を持つ、自分がそこで生まれ育ったという既成事実をいくら積み上げてみても、そこに待っている人がいなければ意味が無いのだと。
多くの人間が自分が「死ぬこと」より、本当は「忘れられること」を恐れているように。(そうこの世界に生きる人間の誰もが「芸人」なのだ!)
結局私達が恐れているのは精神的な意味での「喪失」であって、だから日常に潜む「無関心」への恐怖に今日も沢山の人が怯えているんだと思う。
家の玄関を開けたときに、「おかえり」といってくれる人がいる人はその「日常」に感謝すべきだ。
時々狂ったようにお互いを求め合う人間の心には単に「性欲」だけでは説明できない部分が多い、それが日常に潜むそれらの「恐怖」への抵抗であるように僕には思えてくるのだ。
◆ 2006.06.08 Thu
狂気の缶詰
嫌な夢をみた。
とても暗い気分で目が覚める、それを予め知っていて用意されていたかのような真っ白な曇り空が僕に向かって冷たいまなざしを向けている。テレビをつけると、相変らず狂気の缶詰のようなニュース番組。親が子供を殺し、見知らぬ人間が子供を殺す…。
今日も子供がまた死んだ。「いつも」のように。
オーディオのスイッチを入れるとモーツァルトのピアノ協奏曲が流れてくる。彼もまた狂気の缶詰のような人間だったような気がする、いや、芸術家はいつも狂気寸前のところで戦っているのだ。常人の感覚からすれば、芸術家の異常なほど敏感な感受性と独創的な思考は、「狂気」といっていいものなのだ。
しかしながらこの「狂気」はニュースから流れるような、「殺人の狂気」とは本質的に違っている。「芸術の狂気」は(多くの場合)無秩序から秩序を、混沌から意味を引き出そうするが、「殺人の狂気」は秩序を無秩序に変え、意味を混沌へと溶かしだしてしまうのだ。
なにがMemento Mori.(死を想え)だ!余計なお世話だ。今の僕たちは生を想うべきだ。そうでなくてはならぬ。
とても暗い気分で目が覚める、それを予め知っていて用意されていたかのような真っ白な曇り空が僕に向かって冷たいまなざしを向けている。テレビをつけると、相変らず狂気の缶詰のようなニュース番組。親が子供を殺し、見知らぬ人間が子供を殺す…。
今日も子供がまた死んだ。「いつも」のように。
オーディオのスイッチを入れるとモーツァルトのピアノ協奏曲が流れてくる。彼もまた狂気の缶詰のような人間だったような気がする、いや、芸術家はいつも狂気寸前のところで戦っているのだ。常人の感覚からすれば、芸術家の異常なほど敏感な感受性と独創的な思考は、「狂気」といっていいものなのだ。
しかしながらこの「狂気」はニュースから流れるような、「殺人の狂気」とは本質的に違っている。「芸術の狂気」は(多くの場合)無秩序から秩序を、混沌から意味を引き出そうするが、「殺人の狂気」は秩序を無秩序に変え、意味を混沌へと溶かしだしてしまうのだ。
なにがMemento Mori.(死を想え)だ!余計なお世話だ。今の僕たちは生を想うべきだ。そうでなくてはならぬ。
◆ 2006.06.03 Sat
Belle and Sebastian Live@STELLAR BALL
Belle and Sebastian Live@STELLAR BALLに行ってきた。
早めに品川に向かって、外でビール飲んで景気をつけてからゆっくり会場入り。でも整理番号が早かったので良い所に行けた。オーディエンスは基本的に大人しめの感じの人が多い、意外と年齢層は高かった気がする(というか幅広い感じ)。良いねー。
ライブが始まると最初の曲からスチュワートの透明な声にやられてしまった、なんだこの美しい音楽は!CDでは何回も聴いてた曲が本当にいつも以上に染みてくる。詳しいセットリストは以下の通り、やはり新譜Life Pursuit中心だが意外に初期の作品も取り上げられていて個人的に満足だった。
曲間に入るトークも茶目っ気たっぷりでとにかく会場の雰囲気が良かった。あんなにトーク沢山してくれて、かつユーモアのあるライブを展開できるアーティストってそんなにいないんじゃないかと思う。スチュワートのトークは終始冴え渡っていたね、なにより全体から滲み出てくるあの温かさにグッときた。ファンを大切にしようと思うあの心配りは全ての「アーティスト」が見習うべき姿ではないかと思う。
そしてスティーヴィーの動きは素敵だった!、あのロボットダンスもよかったし、ピアニカをやたら仰々しくジョイントしたりしてる時とか思わず笑ってしまった。ある意味であのライブのMVPはスティーヴィーだった気がする、スチュを食ってしまうくらい目立ってたもんな。(笑)
「やっぱり音楽は生に限る」、そんな当たり前のことを改めて思った夜だった。アンコールのWe Rule The School聞いてたらちょっとジーンと来た、青春だなぁって。「 たかがポップ・ミュージック、されどベルセバ!」とはこのことですよ、まったく。勢いでベルセバのTシャツも買った、ミーハーだな俺って。
とにかくだ、素敵な夜だったよ。ありがとうベルセバ。
早めに品川に向かって、外でビール飲んで景気をつけてからゆっくり会場入り。でも整理番号が早かったので良い所に行けた。オーディエンスは基本的に大人しめの感じの人が多い、意外と年齢層は高かった気がする(というか幅広い感じ)。良いねー。
ライブが始まると最初の曲からスチュワートの透明な声にやられてしまった、なんだこの美しい音楽は!CDでは何回も聴いてた曲が本当にいつも以上に染みてくる。詳しいセットリストは以下の通り、やはり新譜Life Pursuit中心だが意外に初期の作品も取り上げられていて個人的に満足だった。
【セットリスト】
1.The Stars of Track and Field (If You're Feeling Sinister)
2.Another Sunny Day (The Life Pursuit)
3.Funny Little Frog (The Life Pursuit)
4.Mayfly (If You're Feeling Sinister)
5.Sukie In The Graveyard (If You're Feeling Sinister)
6.Electronic Renaissance (Tigermilk)
7.Song For Sunshine (The Life Pursuit)
8.We Are The Sleepyheads (The Life Pursuit)
9.Dress Up In You (The Life Pursuit)
10.Act Of The Apostle (The Life Pursuit)
11.Put The Book Back On The Shelf (Push Barman To Open Old Wounds)
12.The Boy With The Arab Strap (The Boy With The Arab Strap)
13.A Summer Wasting (The Boy With The Arab Strap)
14.I'm A Cuckoo (Dear Catastrophe Waitress)
15.Jonathan David (Push Barman To Open Old Wounds)
16.White Collar Boy (The Life Pursuit)
17.The State I'm In (Tigermilk)
[Encore]
18.We Rule The School (Tigermilk)
19.Dog On Wheels (Push Barman To Open Old Wounds)
20.If You Find Yourself Caught In Love (Dear Catastrophe Waitress)
(※括弧内は収録アルバム)
曲間に入るトークも茶目っ気たっぷりでとにかく会場の雰囲気が良かった。あんなにトーク沢山してくれて、かつユーモアのあるライブを展開できるアーティストってそんなにいないんじゃないかと思う。スチュワートのトークは終始冴え渡っていたね、なにより全体から滲み出てくるあの温かさにグッときた。ファンを大切にしようと思うあの心配りは全ての「アーティスト」が見習うべき姿ではないかと思う。
そしてスティーヴィーの動きは素敵だった!、あのロボットダンスもよかったし、ピアニカをやたら仰々しくジョイントしたりしてる時とか思わず笑ってしまった。ある意味であのライブのMVPはスティーヴィーだった気がする、スチュを食ってしまうくらい目立ってたもんな。(笑)
「やっぱり音楽は生に限る」、そんな当たり前のことを改めて思った夜だった。アンコールのWe Rule The School聞いてたらちょっとジーンと来た、青春だなぁって。「 たかがポップ・ミュージック、されどベルセバ!」とはこのことですよ、まったく。勢いでベルセバのTシャツも買った、ミーハーだな俺って。
とにかくだ、素敵な夜だったよ。ありがとうベルセバ。
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