◆ 2006.09.30 Sat
素敵な大人に恋をしろ!
最近、年上に好かれやすい気がする。何故だ!
年齢的な波に押し出される形で「やっぱり長く付き合うなら年下だよねぇ」なんて言っている手前、喜んで良いのかよくわからない。もちろん嫌われるよりはずっと良い、しかし、「ヒモ」への甘美な誘惑に人生を見失うのがちょっと恐い。パトロンは現代を生きる全ての音楽家にとっての夢だ!げほげほ…冗談ですよ冗談。
実際に親交のある年上の方々の年齢を考えてみると、男性が上が50代までと幅広いのに対し、女性となるとせいぜい30代まででピタリと止まっていることに気付く。
この男女の年齢差は一体どこから生まれてくるのだろうか、と考えていたら「異性」というフレーズが脳裏をよぎった。そして「僕が付き合う女性の年齢層は、異性として意識できる年齢層に等しいのではないか」という仮説に至った。
こう文章でストレートに書いてしまうと、まるで盛りのついた高校生のようで気が引ける。しかし考えてみてほしい、相手に好かれるという状態は、それを受けとめようと思うこちら側の意志があって初めて正常に機能するのだ。その受けとめられる範囲が、そのまま恋愛の守備範囲になるのは自然なことではないだろうか。
大学1年の時に学科委員長なる役職に就いたのをきっかけに30代の副教授の女性と知り合った、彼女は僕のことをとても気に入ってくれて語り合っているうちに仲良くなり仕舞いには休日にデートする関係まで発展したことがある。相手は旦那持ちの人妻だった、今考えると恐ろしいことをしていたなと思うが、それが東京に出て年上の人と親密になる初めての経験だった。
そんな経験を通過するうちに当時の僕は世の中には「つまらない大人」と「面白い大人」の二種類にはっきり分けることができると考えるようになる、そして「面白い大人」を引き付ける力を身につけることが人生においては重要であると思っていた。
しかし、今になって考えてみれば、それはなにも「年上」にのみ当てはまることではないのだ。そもそも人間は年齢でひと括りにはできない。30代の女性を見てみても、美しさにも快楽にも蓋をして枯れに枯れた女性から、ある一定の経験を持つことによってのみ生まれてくる成熟した美しさをもった女性まで実に様々なのだ。
年下にしても相手にしているだけで気が滅入ってくるような女の子もいるし、アンバランスにでも成熟した部分があって時々ぞっとするような美しさを見せるプリマヴェージのような女の子もいる。そう考えていたらそもそも年齢など関係ないのではないかとさえ思えてくる、いや、きっとそれが正しいと思う。
年齢で人をカテゴライズするのではなく、個々の持つ「魅力」だとか「価値」で付き合う人間は選ぶべきなのだろう。うぅ…こんな長々と書いた割になんて平凡な結論なんだ!
まぁいずれにしろ、冒頭で「年上に好かれやすい気がする。」と書いていたが、これはあまり適切な捉え方ではない、「価値観に共感してくれて、気に入ってくれる人が(たまたま)年上に多かった」とするべきだろう。素敵な人間はいつだって素敵である。もう年齢で人を見るのはやめよう。
結論が出てすっきりしたので寝ます。
年齢的な波に押し出される形で「やっぱり長く付き合うなら年下だよねぇ」なんて言っている手前、喜んで良いのかよくわからない。もちろん嫌われるよりはずっと良い、しかし、「ヒモ」への甘美な誘惑に人生を見失うのがちょっと恐い。パトロンは現代を生きる全ての音楽家にとっての夢だ!げほげほ…冗談ですよ冗談。
実際に親交のある年上の方々の年齢を考えてみると、男性が上が50代までと幅広いのに対し、女性となるとせいぜい30代まででピタリと止まっていることに気付く。
この男女の年齢差は一体どこから生まれてくるのだろうか、と考えていたら「異性」というフレーズが脳裏をよぎった。そして「僕が付き合う女性の年齢層は、異性として意識できる年齢層に等しいのではないか」という仮説に至った。
こう文章でストレートに書いてしまうと、まるで盛りのついた高校生のようで気が引ける。しかし考えてみてほしい、相手に好かれるという状態は、それを受けとめようと思うこちら側の意志があって初めて正常に機能するのだ。その受けとめられる範囲が、そのまま恋愛の守備範囲になるのは自然なことではないだろうか。
大学1年の時に学科委員長なる役職に就いたのをきっかけに30代の副教授の女性と知り合った、彼女は僕のことをとても気に入ってくれて語り合っているうちに仲良くなり仕舞いには休日にデートする関係まで発展したことがある。相手は旦那持ちの人妻だった、今考えると恐ろしいことをしていたなと思うが、それが東京に出て年上の人と親密になる初めての経験だった。
そんな経験を通過するうちに当時の僕は世の中には「つまらない大人」と「面白い大人」の二種類にはっきり分けることができると考えるようになる、そして「面白い大人」を引き付ける力を身につけることが人生においては重要であると思っていた。
しかし、今になって考えてみれば、それはなにも「年上」にのみ当てはまることではないのだ。そもそも人間は年齢でひと括りにはできない。30代の女性を見てみても、美しさにも快楽にも蓋をして枯れに枯れた女性から、ある一定の経験を持つことによってのみ生まれてくる成熟した美しさをもった女性まで実に様々なのだ。
年下にしても相手にしているだけで気が滅入ってくるような女の子もいるし、アンバランスにでも成熟した部分があって時々ぞっとするような美しさを見せるプリマヴェージのような女の子もいる。そう考えていたらそもそも年齢など関係ないのではないかとさえ思えてくる、いや、きっとそれが正しいと思う。
年齢で人をカテゴライズするのではなく、個々の持つ「魅力」だとか「価値」で付き合う人間は選ぶべきなのだろう。うぅ…こんな長々と書いた割になんて平凡な結論なんだ!
まぁいずれにしろ、冒頭で「年上に好かれやすい気がする。」と書いていたが、これはあまり適切な捉え方ではない、「価値観に共感してくれて、気に入ってくれる人が(たまたま)年上に多かった」とするべきだろう。素敵な人間はいつだって素敵である。もう年齢で人を見るのはやめよう。
結論が出てすっきりしたので寝ます。
◆ 2006.09.24 Sun
帰る場所、或いは原点
「実家に帰らせていただきます。」(お嫁さん風に)
美味しい料理と美味しい空気、そして美しい大自然で荒んだ心を癒して来たいと思う。いつも思うのだけれど田舎から上京している人って幸せだと思う、「帰る場所」がちゃんとあって、しかもそこが東京にはないような「安らぎ」に満ちているのだから。
東京生まれの東京育ちの人って、色んな意味で「逃げ場」がないなぁと思う。生まれた瞬間からあんな都会の中で、不味い空気と水を吸い込みながらあの人ごみの中を掻き分けて生きてきたのかと思うとちょっと可愛そうになる。なんていいつつ僕は東京も好き。
東京生まれ東京育ちのある女の子がこんなことを言ってた。
生々しい感覚だ。
そのせいかわからないが、東京の子って普段は対人に無関心な感じだけど、その分プライベートでは本当に深く親密な関係に渇いてて、狂ったように求めてくる子が多い気がする。
一般論として語るのは乱暴だけど、少なくとも僕はそういう子には東京に来るまでに出会うことはなかったな。いずれにしろ都会特有の孤独や恐怖のようなものが存在していることは間違いなさそうだ。
田舎っ子の場合、「進学のため上京→そのまま就職」という流れが多い。僕も中学校の時は田舎だったから(周囲の同級生がそうであったように)自分も大学にも行かず地元で就職して色白の福島娘をつかまえて楽しく暮らすものだと思ってた…音楽に出会って人生が狂った。
…なんていいつつ僕も思いっきり東京楽しんでるし、本質的には「住めば都」気質だ。ホームシックにもならない。でもそれってもっと具体的にいえば、与えられた状況の中で楽しみ方をすぐに見つけられたり、人間のコミュニティをすぐに形成できたりするわけだから素晴らしいことなのかもしれない。
確かに綺麗な景色と楽しい思い出によって「美化」されているところはあるのかもしれない、故郷は潜在的に刻まれていくものなのだろう。そして故郷を持つ人は強い、自分の原点に還る場所があるから。政界や財界や、あらゆる分野で名を上げる人間の殆どが地方出身である所以もそこらへんにあると睨んでいる。(トンデモ論)
しかし東京でも例外はある!例えば、調布とか多摩とか郊外はとても閑かである、たまに電車で通りかかったりすると「最後の楽園だ!」などと隣の見知らぬお婆ちゃんに訴えたくなるような興奮を覚える。東京の郊外に住むというのは1つの選択肢としてアリなのかもしれない。
本音をいってしまえば僕は福島に帰ると懐かしいし癒されるけど、田舎にいると人生が停滞していく感覚があって「ここにいちゃいけない…」といつも感じる。時間の流れとか情報とか…とにかく全てが良くも悪くもスロウだ。心地いいんだけどハマったら抜け出せなくなる泥沼にいるような感覚。不安になる。
なんだかんだいって東京が好きで、活躍できるフィールドがあるのも多くを学べる場所があるのも東京だから、将来日本に住むなら東京だなと今は考えてる。そして、ままどぉるが東京でも売っていることを知ったとき、その思いは決定的になったのだった… (フィナーレ)
美味しい料理と美味しい空気、そして美しい大自然で荒んだ心を癒して来たいと思う。いつも思うのだけれど田舎から上京している人って幸せだと思う、「帰る場所」がちゃんとあって、しかもそこが東京にはないような「安らぎ」に満ちているのだから。
東京生まれの東京育ちの人って、色んな意味で「逃げ場」がないなぁと思う。生まれた瞬間からあんな都会の中で、不味い空気と水を吸い込みながらあの人ごみの中を掻き分けて生きてきたのかと思うとちょっと可愛そうになる。なんていいつつ僕は東京も好き。
東京生まれ東京育ちのある女の子がこんなことを言ってた。
「人間が意志をもたないだだひたすら物質的な存在のように思えてくる、その肥大化した塊の中に飲み込まれ同化していつの間にかどろどろに溶けていくような感覚に襲われて急に恐くなる…」
生々しい感覚だ。
そのせいかわからないが、東京の子って普段は対人に無関心な感じだけど、その分プライベートでは本当に深く親密な関係に渇いてて、狂ったように求めてくる子が多い気がする。
一般論として語るのは乱暴だけど、少なくとも僕はそういう子には東京に来るまでに出会うことはなかったな。いずれにしろ都会特有の孤独や恐怖のようなものが存在していることは間違いなさそうだ。
田舎っ子の場合、「進学のため上京→そのまま就職」という流れが多い。僕も中学校の時は田舎だったから(周囲の同級生がそうであったように)自分も大学にも行かず地元で就職して色白の福島娘をつかまえて楽しく暮らすものだと思ってた…音楽に出会って人生が狂った。
…なんていいつつ僕も思いっきり東京楽しんでるし、本質的には「住めば都」気質だ。ホームシックにもならない。でもそれってもっと具体的にいえば、与えられた状況の中で楽しみ方をすぐに見つけられたり、人間のコミュニティをすぐに形成できたりするわけだから素晴らしいことなのかもしれない。
確かに綺麗な景色と楽しい思い出によって「美化」されているところはあるのかもしれない、故郷は潜在的に刻まれていくものなのだろう。そして故郷を持つ人は強い、自分の原点に還る場所があるから。政界や財界や、あらゆる分野で名を上げる人間の殆どが地方出身である所以もそこらへんにあると睨んでいる。(トンデモ論)
しかし東京でも例外はある!例えば、調布とか多摩とか郊外はとても閑かである、たまに電車で通りかかったりすると「最後の楽園だ!」などと隣の見知らぬお婆ちゃんに訴えたくなるような興奮を覚える。東京の郊外に住むというのは1つの選択肢としてアリなのかもしれない。
本音をいってしまえば僕は福島に帰ると懐かしいし癒されるけど、田舎にいると人生が停滞していく感覚があって「ここにいちゃいけない…」といつも感じる。時間の流れとか情報とか…とにかく全てが良くも悪くもスロウだ。心地いいんだけどハマったら抜け出せなくなる泥沼にいるような感覚。不安になる。
なんだかんだいって東京が好きで、活躍できるフィールドがあるのも多くを学べる場所があるのも東京だから、将来日本に住むなら東京だなと今は考えてる。そして、ままどぉるが東京でも売っていることを知ったとき、その思いは決定的になったのだった… (フィナーレ)
◆ 2006.09.18 Mon
「ダフニスとクロエ」
ラヴェルの「ダフニスとクロエ」を聴いている。
スコアを見ながらこの作品聴いていると(何故だかわからないけれど)、夢現つな気分になってくる。スコアにはこの魔法のような音楽が、記号として刻まれている。それにも関わらず、感覚は物質的なものからどんどん離れていくのだ。音の洪水を目で追っている時のこの感覚は、楽譜を読んでいるというよりはむしろ、絵画を見ている感覚に近いと思う。
エキゾチックでエロティックな音楽…有り触れた形容詞をいくら並べてみてもこの作品の本質は捉え切れない。音楽を言葉で表現しようとする行為が、いかにナンセンスであるのかを思い知らされる。音楽を批評することはできても、音を言葉で伝えることはできないのだ。
無論、言葉など全て便宜的なもの。それをナンセンスと一言に言い切ってしまうと、全ての文学作品を否定してしまうことにもなってしまう恐れがある。ここで僕が言いたいのは、少なくとも音楽は言葉にするよりも「音を音として感じる」方が真実に迫れるということだ。
ダフニスとクロエ(以下ダフクロ)はバレエ音楽であるが、現在は管弦楽作品として演奏されることしかない。多くの有名なバレエ音楽は、抜粋されまるで食肉を解体するように切り売りされる。それは文学作品のあらすじだけを読むようなものだ、やはりこういう曲は全曲版が愉しい。
ダフクロの演奏はずっとデュトワとモントリオール響の演奏を聴いていた。音質も良いし、ラヴェルの意図したオーケストレーションが鮮明に聴こえてくるからだ。デュトワのフランス物は高校時代から好きだったけれど、良いものはやはりいつ聴いても良い。
しかし、最近はクリュイタンスとフランス国立の演奏の方が好みだ。これも同曲の不朽の名盤として昔からたくさんの人に愛されてきた演奏である。この演奏はデュトワのひたすら磨き上げたサウンドよりも幾分「生々しさ」と「香り」がある、上手く言葉でいえないけれどこの演奏全体には、まるで人肌のようなぬくもりが漂っているのだ。
ある著名な指揮者に「最近デュトワよりクリュイタンスの方が染みる」と言ったら、「漸くtaxiも音楽の"雰囲気"よりも、その中で語られている"言葉"に耳を傾けて、それを愉しめるようになったか。」と言われた。ここでも出てくる「言葉」という単語、むむぅ…「音楽は言葉である」という定義は月並みだけれど正しいのかも。同じ文章(楽譜)を色々な演奏家が自分の言葉で聴衆に話しかけているといった具合だろうか。
ラヴェル、それからドビュッシー、フォーレ、三人のフランス人が生み出した世にも素敵な作品の数々は、僕にとっては正に宝物のような存在である。こっそりと「秘密の小箱」を開けてそれをのぞき見ては恍惚としている、その恍惚の性質は子供の無邪気で野蛮な興奮と、大人の静謐と理性の内側に燃えるセクシャルな興奮とが同居している。
みんなも開けてみよう。秘密の小箱。
「ドビュッシーのピアノ作品が好き。彼の作品を聴いていると月の綺麗な夜みたいに興奮しちゃうの。」、とか言っちゃう素敵なオンナノコはもうこの世の中にはいないのだろうか。フランス作品にセクシーさを感じるのは僕だけだろうか。
不安だ…誰にも共感を求められないこの感覚。不安だ!(笑)
スコアを見ながらこの作品聴いていると(何故だかわからないけれど)、夢現つな気分になってくる。スコアにはこの魔法のような音楽が、記号として刻まれている。それにも関わらず、感覚は物質的なものからどんどん離れていくのだ。音の洪水を目で追っている時のこの感覚は、楽譜を読んでいるというよりはむしろ、絵画を見ている感覚に近いと思う。
エキゾチックでエロティックな音楽…有り触れた形容詞をいくら並べてみてもこの作品の本質は捉え切れない。音楽を言葉で表現しようとする行為が、いかにナンセンスであるのかを思い知らされる。音楽を批評することはできても、音を言葉で伝えることはできないのだ。
無論、言葉など全て便宜的なもの。それをナンセンスと一言に言い切ってしまうと、全ての文学作品を否定してしまうことにもなってしまう恐れがある。ここで僕が言いたいのは、少なくとも音楽は言葉にするよりも「音を音として感じる」方が真実に迫れるということだ。
ダフニスとクロエ(以下ダフクロ)はバレエ音楽であるが、現在は管弦楽作品として演奏されることしかない。多くの有名なバレエ音楽は、抜粋されまるで食肉を解体するように切り売りされる。それは文学作品のあらすじだけを読むようなものだ、やはりこういう曲は全曲版が愉しい。
ダフクロの演奏はずっとデュトワとモントリオール響の演奏を聴いていた。音質も良いし、ラヴェルの意図したオーケストレーションが鮮明に聴こえてくるからだ。デュトワのフランス物は高校時代から好きだったけれど、良いものはやはりいつ聴いても良い。
しかし、最近はクリュイタンスとフランス国立の演奏の方が好みだ。これも同曲の不朽の名盤として昔からたくさんの人に愛されてきた演奏である。この演奏はデュトワのひたすら磨き上げたサウンドよりも幾分「生々しさ」と「香り」がある、上手く言葉でいえないけれどこの演奏全体には、まるで人肌のようなぬくもりが漂っているのだ。
ある著名な指揮者に「最近デュトワよりクリュイタンスの方が染みる」と言ったら、「漸くtaxiも音楽の"雰囲気"よりも、その中で語られている"言葉"に耳を傾けて、それを愉しめるようになったか。」と言われた。ここでも出てくる「言葉」という単語、むむぅ…「音楽は言葉である」という定義は月並みだけれど正しいのかも。同じ文章(楽譜)を色々な演奏家が自分の言葉で聴衆に話しかけているといった具合だろうか。
ラヴェル、それからドビュッシー、フォーレ、三人のフランス人が生み出した世にも素敵な作品の数々は、僕にとっては正に宝物のような存在である。こっそりと「秘密の小箱」を開けてそれをのぞき見ては恍惚としている、その恍惚の性質は子供の無邪気で野蛮な興奮と、大人の静謐と理性の内側に燃えるセクシャルな興奮とが同居している。
みんなも開けてみよう。秘密の小箱。
「ドビュッシーのピアノ作品が好き。彼の作品を聴いていると月の綺麗な夜みたいに興奮しちゃうの。」、とか言っちゃう素敵なオンナノコはもうこの世の中にはいないのだろうか。フランス作品にセクシーさを感じるのは僕だけだろうか。
不安だ…誰にも共感を求められないこの感覚。不安だ!(笑)
◆ 2006.09.12 Tue
宗教の壁!
道を歩いていたら仏教系の某宗教の勧誘を受けた。
日本人の殆どは宗教勧誘というものに異常な警戒感と不信感を抱くのだが、僕の場合こういう人と議論するのが意外と好きだったりする。といっても僕はその団体名はよく知っていた、あまり宗教団体としては良い話を聞かない団体だ。それだけに彼らには色々と聞いてみたいことがあった。その時は一日の予定も終わったところだったので、久しぶりにお互いの宗教観と価値観を戦わせてみた。
まずは一通り相手の信仰の内容を一通り聞く、その後にまずは
「僕さ、敬虔なカトリックなんだよね。家が教会でさ。」
と真顔で言ってみる、もちろん大嘘。
それに対して相手は「いかにキリスト教がダメなのか」ということを説きだす。この時点でもうこちらの思うつぼ、逆にカトリックと彼らの宗教の共通点を並べていき矛盾点を示す。それに対して、色々と反論してくれたのだがますます矛盾を露呈するような状況になってくる。(笑)
まぁそれはそれとして、次に「広めたい信仰はわかった、その信仰によってこの日本という国をどうしたいのか、なるべく具体的に説明して欲しいんだけど。」と聞いてみる。
そうすると相手は、「政治とは結びつかずに一般国民の意識を変えて下から上に働きかけたい」というようなことを言って、創価と政治の関係について言及し急に創価批判へと話題をすりかえてようとしている。
「最終的に上(政治)に訴えるっていうのはもっと具体的に言えば政治に結びつくということでしょ。まぁそれは良いんだけど、色々な部分でリアリティに欠けるんだよね、精神論ばかりというか。もっと具体性が欲しいなぁ。」と言ってみる。
この辺から相手は勧誘する気は無くなって教義の載った本をしまい、普通の語り部の場所と貸した。こうなるのを待ってた、僕の目的は単に知的興味からこの人と宗教について話したいだけなのだ。
もちろんここまで僕も批判的なニュアンスは少しも出さず、純粋に「言ってる事はわかるなぁ、素晴らしいと思う。ここがわかんないんだよぅ」みたいなスタンスで攻めていたので相手も少しも気を悪くしていないし敵意ももっていない、むしろ普段あまり一般人と宗教について勧誘抜きにガチンコで語ったことがあまりないらしく、この状況をまたとない機会と相手もとらえていたようだった。
その後は色々と日頃中々聞けない宗教や裏社会の疑問をぶつけた。
・仏教と神道の関係と、日本の宗教界における立ち位置
・オウムが目指そうとしていたものは何だったのか
・イスラム教、キリスト教の普及の裏側にある歴史
・ヤクザに宗教はあるか、或いは繋がりはあるのか
・ライブドアの野口副社長怪死の真相
どれも「ああ、それ聞いてみたい」と思うけど中々誰にも聞けない話題ばかり。ツッコミどころは多々あるにしても、今日話した人は大学時代に目覚めたというだけあって比較的よく勉強している人で教養もあったので面白い話が聞けて面白かった。
別れ際に「がんばってね。」といったら「ありがとう。」と笑顔で答えてくれた。あの人普通に生きてたら、友達になれたなぁなどと思った。
宗教の壁!
日本人の殆どは宗教勧誘というものに異常な警戒感と不信感を抱くのだが、僕の場合こういう人と議論するのが意外と好きだったりする。といっても僕はその団体名はよく知っていた、あまり宗教団体としては良い話を聞かない団体だ。それだけに彼らには色々と聞いてみたいことがあった。その時は一日の予定も終わったところだったので、久しぶりにお互いの宗教観と価値観を戦わせてみた。
まずは一通り相手の信仰の内容を一通り聞く、その後にまずは
「僕さ、敬虔なカトリックなんだよね。家が教会でさ。」
と真顔で言ってみる、もちろん大嘘。
それに対して相手は「いかにキリスト教がダメなのか」ということを説きだす。この時点でもうこちらの思うつぼ、逆にカトリックと彼らの宗教の共通点を並べていき矛盾点を示す。それに対して、色々と反論してくれたのだがますます矛盾を露呈するような状況になってくる。(笑)
まぁそれはそれとして、次に「広めたい信仰はわかった、その信仰によってこの日本という国をどうしたいのか、なるべく具体的に説明して欲しいんだけど。」と聞いてみる。
そうすると相手は、「政治とは結びつかずに一般国民の意識を変えて下から上に働きかけたい」というようなことを言って、創価と政治の関係について言及し急に創価批判へと話題をすりかえてようとしている。
「最終的に上(政治)に訴えるっていうのはもっと具体的に言えば政治に結びつくということでしょ。まぁそれは良いんだけど、色々な部分でリアリティに欠けるんだよね、精神論ばかりというか。もっと具体性が欲しいなぁ。」と言ってみる。
この辺から相手は勧誘する気は無くなって教義の載った本をしまい、普通の語り部の場所と貸した。こうなるのを待ってた、僕の目的は単に知的興味からこの人と宗教について話したいだけなのだ。
もちろんここまで僕も批判的なニュアンスは少しも出さず、純粋に「言ってる事はわかるなぁ、素晴らしいと思う。ここがわかんないんだよぅ」みたいなスタンスで攻めていたので相手も少しも気を悪くしていないし敵意ももっていない、むしろ普段あまり一般人と宗教について勧誘抜きにガチンコで語ったことがあまりないらしく、この状況をまたとない機会と相手もとらえていたようだった。
その後は色々と日頃中々聞けない宗教や裏社会の疑問をぶつけた。
・仏教と神道の関係と、日本の宗教界における立ち位置
・オウムが目指そうとしていたものは何だったのか
・イスラム教、キリスト教の普及の裏側にある歴史
・ヤクザに宗教はあるか、或いは繋がりはあるのか
・ライブドアの野口副社長怪死の真相
どれも「ああ、それ聞いてみたい」と思うけど中々誰にも聞けない話題ばかり。ツッコミどころは多々あるにしても、今日話した人は大学時代に目覚めたというだけあって比較的よく勉強している人で教養もあったので面白い話が聞けて面白かった。
別れ際に「がんばってね。」といったら「ありがとう。」と笑顔で答えてくれた。あの人普通に生きてたら、友達になれたなぁなどと思った。
宗教の壁!
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