◆ 2006.10.31 Tue

やわらか頭

こんな文章を見つけて思わず微笑んでしまった。

アメリカのNASAは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだとき、無重力状態ではボールペンで文字を書くことができないのを発見した。これではボールペンを持って行っても役に立たない!

NASAの科学者たちはこの問題に立ち向かうべく、10年の歳月と120億ドルの開発費をかけて研究を重ねた。その結果ついに、無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、どんな状況下でもどんな表面にでも書けるボールペンを開発した!!

一方、ソ連は鉛筆を使った。

いいなぁこれ、ソースを調べてみたら一応本当の話なんだそうな。発想って大事なんだなぁと思った、素晴らしい技術をもった頭の固い人間よりも、柔らかい頭でシンプルな近道を簡単に見出せる人間の方がクレバーだな。

そういう生き方に僕は憧れます。
◆ 2006.10.30 Mon

消えた「怒る指揮者」

最近あるオケの下振りでベートヴェンの交響曲第3番《英雄》の指揮をしている。ベーレンライターの新版による演奏なので、スコアを勉強していると新しい発見があって面白い。同じ曲でもエディションが違うだけでここまでニュアンスが変わるのだなぁと感心しきり。

ミヒャエル・ギーレンのDVDがこのエディションで演奏していると指揮仲間の方から情報を教えてもらったので、さっそくそのDVDを鑑賞している。シュルヘン、ケーゲル、ブーレーズなどと人括りにされ冷血系などといわれる彼の音楽だが意外にもこの曲では上手く行っている。

あくまで客観的な音作りに徹しているのでロマンティックな情調はないのだけれど、音楽に流れがあり曲のディティールが非常に鮮明に聴こえてくるのでこの曲の「機能的な面白さ」に改めて気付くことができる。彼のクールな指揮姿も印象的、楽員の強張った顔も良い、やっぱりギーレンは相変らずだ。

昔、ギーレンのリハを見たことがあるけどとても厳しい人だったなという印象がある、手兵の南西ドイツ放送交響楽団相手だから容赦ないという部分もあるんだと思うけど。とにかく粘着質なくらいに同じ場所を何度も返し、眉間に皺を寄せながら厳しい言葉を発していた。

そういえば最近は「怒る指揮者」っていうのをあまり見なくなったなぁと思う。トスカニーニも終始怒鳴りっ放しだったというし、クレンペラーやベームもよくぶち切れてた、カルロス・クライバーもリハ中に解釈に疑問を呈した楽員にぶち切れて途中で帰ってしまい、とうとう本番も来なかったという伝説がある。

でも最近そういう話を聞くことは少ない、今一線で活動してる指揮者のリハを見ても、みんな人間的な暖かさで非常な親密な雰囲気を作り出しながら音作りをしている人ばかりだ。昔に比べて指揮者という存在の在り方が少しずつ変わっているような、そんな気がする。

ある意味最後の「厳しい指揮者」の砦だったベーム、チェリビダッケ、そしてヴァントが死んだ時に、その指揮者像にある種のピリオドが打たれてしまったような気がする。楽員にとっては良いことなのだろうけど、音楽の面白さは減ってしまうような気がする。職人には厳しい態度が必要なのかもしれない。
◆ 2006.10.26 Thu

高校は何をするところか

なんだか僕の故郷が最近賑わっている。

県内の県立高校でも必修科目を履修せず

県内の複数の県立高校でも入試対策として必修とされている世界史の授業が行われていなかったことがわかった。この問題は、富山県の県立高校で卒業に必要な科目を履修しておらず卒業できない恐れが出ているもので、県内でも県立福島高校や橘高校、福島東高校、会津高校で、世界史の授業を履修していない生徒がいることがわかった。

世界史は学習指導要領で必修科目になっている。履修していない生徒は、卒業までに50分の授業を70回受けなければ卒業資格を得られない。県立福島高校では少なくとも2003年から県の教育委員会に生徒が世界史を履修しているように見せかけた虚偽の時間割を提出していたという。福島高校では、緊急の職員会議を開いて、今後の授業の対応や、生徒、保護者への説明会開催などを検討する。 (福島放送)

ほほう、我が母校である福島高校も単位不足問題なのね。

県内の進学校は全部該当してる。でもここに書かれていることを見る限り、俺も卒業してない恐れがあるんだけど…。でも、基本的に進学校は科目絞ってやるのは常識だから俺もこれは「進学校流のやり方」だと思ってた。こうしなきゃ東京の私立有名校の人に勝つのも大変になっちゃうし、公立の進学校なら仕方ない方法だと思うんだよね。正直。

センター試験も近いし補習なんてやってる場合じゃないと思うし本当に大変だよな。今年の進学率下がりそう、最近はウチの高校から東大・京大行く人も減ってきたしピンチだ。もう一回福島高校に通えるなら俺も喜んで行くんだけどなぁ、ついでに福高オケのコンマスやっちゃうと思う、史上最高に上手い高校オケ作っちゃうぞ。

まぁ多分補修という枠組みで自主学習時間にすることで乗り切れるんじゃないかと思う、同じ場所に集まって受験勉強していると思えば少しは気は楽になるんじゃないかな。しかし最近福島はスキャンダルまみれになっちまったね、県知事も逮捕されちゃうし。しかしネタとしてはどんどん美味しくなってる、シュールなネタがどんどん浮かんでくるよ。

…なんでも笑いに変換してしまうのが僕の強みです。

最近のニュース見てると「高校は何をするところか?」という見出しで「高校は受験のためだけの場所ではない、幅広く色んな教養を身につける場所だ」みたいなことを言ってるんだけど。その「現場」にかつていた人間から言わせてみれば、この見方は一面的で浅はかだ、とても容認できる発言ではない。その中身はもっと複雑なのである。

学業以外のクラブ活動や友人付き合いにも一生懸命になりたい高校生にとっては、授業は受験のための最低限のものにして欲しいのは当然だ。馬鹿みたいに無駄な授業ばかり受けさせられたら逆に生活に占める授業のウェイトが増えていって、結果的に授業以外の時間もその無駄の分勉強する必要が出てくるから、勉強以外の活動をする余裕もなくなってしまう。

つまり学校が勉強するだけのつまらない場所になってしまうわけだ、そうなると「受験のための高校」という色合いはむしろ今以上に強くなってしまうと思う。そのくらいまで考えが及ばないコメンテーターという名の素人たちには本当にテレビ界から消えてもらいたい、そんな素人コメントを視聴者に聞かせる権利などないということをあの人たちは知るべきだ。

多分芋づる式に該当校がこれからも増えていくだろう、この事件の発端はマスコミの一部が嗅ぎつけて学校に取材してことから発覚したらしいがホント余計なことしてくれたものだ。(笑)世の悪を正すのは構わないけど、「必要悪」まで正してどうするんだろうと思う。

多分、学習指導要領作ってる役人さんの息子なんてのは中高一貫の私立でじっくり時間をかけて受験の準備できるような学校行ってたりするから、現実感覚無いんだろうな
◆ 2006.10.20 Fri

最近の年配者は…

いろんな場所で他人の会話に耳をそばだてている。

そんな内気な行動を重ねているうちに、「最近の若いものは…」と曖昧な括りを主語にして否定的なニュアンスの言葉を続ける絵に書いたような年配者が意外と多いことに気付いた、逆に「最近の年配者は…」と言いたくなるような気持ちになる。

そう言っている人の多くは、若者とまともに接したり語り合ったりする機会がないのではないかと思う。彼らは数少ない「若者」の情報を掻き集めて否定的な結論に達しているのだ。そうだとすれば、一体彼らは何を見てそのような判断を下しているのかを考えてみよう。

一つにマスメディアがある。結論からいうとニュースや新聞に出てくる若者は、芸能人意外はそのほとんどが犯罪者であったり社会的に迷惑をかけるいわゆる不良である。常識的に生きる大多数の若者は新聞にもニュースにも登場せず普通に大人になっていくわけだ。

バラエティ番組でも同じことがいえる。例えば「常識を知らない若者」というテーマで、一般常識を街頭の若者にインタビューする企画などは、明らかに馬鹿そうな若者だけに意図的にインタビューして、珍解答を連発させ「若者は常識知らず」という結論に持っていく。

極論じみたものにしないと番組としての面白さも価値も無くなるという前提論のもとにメディアは成り立っているし、僕はその点に関しては否定的な立場ではない。それをストレートに受けとめて拡大解釈してしまう大人がいるのだから信じられない、そっちの方がずっと常識知らずである。

誰でも情報を発進できるようになり、メディアリテラシーという価値観が叫ばれる時代はとっくの昔に来てるのに、パブリックな情報を疑うチャンネルが年配者にはあまり浸透していないように思う。

一昔前は情報を発進できる権利を持つものは一部の知識人や文豪に限られていたから、パブリックな情報を信頼しきっている部分があるのかもしれない。
◆ 2006.10.11 Wed

「カレーと同じくらい好き」

家の近くにいつの間にかココイチができていて妙な因果を感じている。

高校生だった頃はヴァイオリンを練習して練習が終わる頃になると「カレー食いに行くぞ!」と同期や後輩を半ば強引に誘って学校近くのココイチへ行き毎日カレーを食べていた、「毎日」と書いたが決して大袈裟な表現ではなく本当に毎日通っていた。

カレーまみれの青春。仕舞いにはヴァイオリンの色がカレーに見えたほどだ、「君のヴァイオリンはココイチの甘口カレー、チーズトッピングの色だ」とか言ってた。(笑)

ココイチに行くと僕は決まって800g(通常量は300g)のカレーを食べていた、もちろんおかわり自由の福神漬の容器も空にする。その後、家に帰ってさらに夕食を食べていたことを考えると、当時の自分がいかに爆発的な食欲を有していたかがわかる。

それだけ音楽に打ち込む(狂う)ことにはパワーがいるのだ、実際今でも音楽で精神も体力も削られてしまった日は晩ご飯を三回食べるという奇行に走ることがある。

当時、想いを寄せていた女の子を誘ってココイチにご飯を食べにいった時に「カレーと同じくらい好き。」という名言を生みだしたのもこの場所である。一般的には「カレーと同じ程度なの!?」と憤慨されてもおかしくない台詞だが、当時の自分にとってはカレーは世界で一番好きな食べ物であり、この台詞は「世界で一番好き」と言うに等しい意味を持つ言葉だったのだ。まぁそう相手には伝わってなかったけれど。

そういうわけで、高校時代は何をしていたかと聞かれると僕はいつも「毎日カレーばかり食べて、ヴァイオリンを弾いてました」と答える、そのくらい自分の生活サイクルにおいてココイチの占める割合は大きかった。自伝を書くとすれば高校時代のチャプタータイトルは多分「カレーヴァイオリン」とかになってしまうと思う、かっこ悪い。

今になって客観的に振り返ってみると後輩を沢山誘ってココイチでカレーを食べながら音楽やオーケストラ、人生や愛について語り合う時間を重ねることで信頼関係が構築されていったことは間違いない。そこには後輩と腹を割って語り合い悩みを聞いたりアドヴァイスをする場所が自然と作り出されていたのだなと思う、大学オケでいう「飲み会」の代替的役割を果たしていたといっていい。

もちろん、当時の自分にとっては「カレーが食べたい→一人で食べるのは淋しい→みんなで食べにいこう」という単純な発想からの行動にすぎなかったのだが。それが自然とオーケストラにとって最善の形になっていたというのは面白い。あの頃は何も考えないでカレーに夢中になるだけで全てが不思議と上手く行ってた気がする、ああいう全てを良い方向に変えてしまうパワーって凄い。カレーパワーだ!

というわけでまたココイチに通っています。みなぎるカレーパワー。(笑)


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