◆ 2007.06.27 Wed

ストラヴィンスキー?ボコボコにしてやんよ。

ストラヴィンスキーは難しい。

変拍子&不協和音のってレベルじゃねーぞ!たぶんこの音楽に出てくるミッキーは着ぐるみ着忘れて、頭から下は全裸だと思う。そんなことを考えながら、スコアをせこせこと読み込んでる。

できることならストラヴィンスキーと直接会って対談したいなと思った、彼の頭の中の世界に入り込んでいくと狂気混じりのメルヘンに脳内を侵される感じがエキセントリックで楽しい。

私…汚されちゃったよ…

でも実際はクールな人だろうな。四六時中熱い変態なんて世の中に腐るほどいるわけで、本当に厄介で止めようがないのはクールな変態だと思う。笑顔の変態より、真顔の変態の方がずっと恐いわけだ。

ストラヴィンスキーの音楽に取り組んでいると、僕は晩年のピカソやシーレの人物を描いたデッサンを思い出す。いびつでグロテスクで写実性はまったくないのに、本物の人間よりも生々しく血を通わせている。血液の流れる不気味なロボット。

一方で、その狂気のすきまに現われる緊張感にみちた静謐の奥には、彼の知性、瞑想、或いは信仰心のようなものが垣間見えるようでときどき僕はドキッとしてしまう。日本庭園を包み込むあの静謐の美に、通じるところがあるような気もする。
◆ 2007.06.21 Thu

宗教に…おっぱい

また誘われちゃったぜ、ひゃっほう!

勧誘の人:
手相の勉強をしているのですが、手相を見せていただけませんか?

自分:
偶然ですね、僕も手相の勉強をしてるんですよ。同業者に手は見せられないなぁ、すみません。

おととい来やがれ、バーローwww

というわけで目には目を、歯には歯を、宗教には宗教をというハンムラビ法典の教えを守りながら今日も地球のどこかで適当なことばかり言っていた無責任男ことtaxiです。皆さんこんばんは。

ああいうタイプの勧誘がいると、本当に手相勉強してるやつが困るんじゃないだろうか。それに宗教勧誘するならストレートに言ってくれるタイプのほうがまだタチが良い。「や ら な い か ?」って感じで。

そんな手を使わないと人集められないような自分の信じてる宗教の現状に疑問を持たないのか。教義が薄っぺらい価値観だったり、批判主義的なだけだったり…とにかく「魅力」がない宗教に人は集まらない。

情けなくて頭の悪いカルト宗教を見ていると、自分が教祖やった方がずっとメジャーになるんじゃないかと思う。名付けて「ひゃっほう教」、楽器を弾くことと酒を飲むことで精神を高揚させ神に近づいていくという快楽的宗教だ!

まぁ普通の大規模飲みサークルになっちゃうのがオチだとは思うが。宗教が人々にとっての大きな意味での「救い」になれば良いのなら、こういうのもアリかも。カルト宗教特有の閉塞感とか周りの空気をまったく読めてない感じを無くしていけば、イケる気がするwww

でも考えてみたらもう既に、世界の殆どの人はなんらかの宗教に属しているから今更やってもたかが知れてる。もっとも、日本は自分の家がどの宗派に属しているかも知らない事実上無宗教な人が多いわけで、そういう意味では最後の土壌なのかもしれない。

本音をいうと僕は「おっぱい教」というのが作りたい、世界平和を願う脱力系宗教だ。心が乱れているときに脈絡もなく「おっぱい」と口に出していってみると妙に力が抜けて悩みなどどうでもよくなる。

  _  ∩
( ゚∀゚)彡 おっぱい!おっぱい!
 ⊂彡

最後に友人の言っていた素敵な独り言をここに引用しよう。

おっぱいがもっと世の中にいっぱいあれば世界は平和だったかもしれない

ほわーん。
◆ 2007.06.15 Fri

ひゃっほう!

主観的な音楽には客観的に取り組まなければならない

と、ある指揮者に言われた。

客観的な音楽には主観的に取り組まなければならない

と、もう一人の指揮者に言われた。

…もうわけわかんね ( ´,_ゝ`)

座標的に考えるとこの二つは最終的に同じ原点0に迫ろうとしているようだ、その原点に近づけば近づくほど言葉は曖昧になり単に「音楽」という言葉でしか捉えることができないようなものに変わっていく。

まるで全ての生命にとっての海(生命のスープ)のようなイメージ、人の心にじわじわと染みてきて官能的で本能的な侵食を起こす音楽のスープ。そこに身を委ねていると心のサードインパクトが起きそうになる。(エヴァ)

恐ろしい。恐ろしいものに僕は出会ってしまった。アドルフ・ロースの著作「装飾と犯罪」の中に出てくる「全ての芸術はエロティックである(Alle kunst ist erotisch.)」という言葉の意味を改めて思い知る。この言葉のあとにロースは次のように続ける。

Das erste ornament, das geboren wurde, das kreuz, war erotischen ursprungs. Das erste kunstwerk, die erste künstlerische tat, die der erste künstler, um seine überschüssigkeiten los zu werden, an die wand schmierte. Ein horizontaler strich: das liegende weib. Ein vertikaler strich: der sie durchdringende mann. Der mann, der es schuf, empfand denselben drang wie Beethoven, er war in demselben himmel, in dem Beethoven die neunte schuf.

【意訳】
この世界に生まれた初めての装飾は十字架であるが、これもやはりエロティックな衝動を根源としている。それは、最初の芸術作品、最初の芸術家が、有り余るエネルギーのはけ口を求めて壁に塗りたくった最初の芸術行為であった。横の線は横たわる女、縦の線は彼女を貫く男。これを描いた男は、ベートーヴェンと同じような衝動を感じながら、ベートーヴェンが第九交響曲を作曲したときと同じ至福の中にあったのだ。

うん、要するに「ひゃっほう!」ってことだな。(笑)
◆ 2007.06.10 Sun

奇跡の価値

久しぶりに大学オケの同期の何人かでドライブして、有名なラーメン屋さんに行き行列にならんでいたときの出来事。

ふと道路に目をやるとバイクが物凄い勢いでこちらに突っ込んできた。直観的に「危ない!」と感じたが、突然の出来事に唖然としてまったく身動きをとることができない。時間が止まったような感覚に教われる。

ドンッ…ガシャーン!!

バイクは僕の正に目の前に路駐してあった車に物凄い勢いで衝突した、同時に道路に向かって衝突の勢いで脱げたヘルメットがコロコロと転がっていく、続いて道路に倒れた運転者の激痛にうめく声が聞こえる、頭の中が真っ白になった。

幸いこの交通事故で死人は出なかったらしい。しかし、あとから事故の状況を冷静に振り返っていて背筋がぞっとした。もし目の前に路駐した車がなかったら、位置的に考えてあのバイクは恐らく僕を直撃しただろう。

あの猛スピードで激突されたら、軽い怪我ではすまない、下手をすれば命を落としていたかもしれない。ドライブの後に大切な人と会う約束をしていたのだが、その人に会えたことがなんだか奇跡のように思えて感動してしまった。

「死」とはどんなに誠実に生きようが、どんなに富や栄誉を獲得しようが不可避なものなのだということを改めて思い知った。そしてそれは時に理不尽な形で牙を剥き人の命を一瞬にして奪い去っていく。

今日という一日を無事に生きて、数々の約束と役目を果たし、大好きな人と会い、夜は愛着のあるベッドで一日を無事に終えることができる。そんな「奇跡の価値」を僕はすっかり忘れていた気がする。

日常にはびこる様々な理不尽さに怒りを覚えたり誰かに愚痴りたくなったしてしまう世の中だが、「死」の理不尽さを思うとどうでも良くなってしまう。

今日もどこかで誰かが泣いている、死の理不尽さを前にしてあまりにも無力な人間が沢山のものを遺したり遺されたりしながら泣いている。月並みなことをを真面目に書くのはなんだか恥ずかしいけれど、生きていることに感謝しなきゃいけないなと思った。

そしてラーメンは生命の味がした。うまうま。


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