◆ 2007.09.25 Tue

クラヲタ首相

みんな福田さんの話してるから、違う切り口でいこうか。

最近知ったんだけど福田総裁は結構なクラヲタらしい、しかもオーディオにうるさい音響ヲタでもあるとか。特にベルリオーズとバルトークが好きなんだそうな、オペラ好きの小泉氏と比べて好みの音楽の色彩が暗い。

思うに好きな音楽は内面を映す「鏡」のようなものだ、福田さんががバルトークの弦楽四重奏とか聴きながら、眉間に皺寄せてる姿を想像したら似合い過ぎてて吹いた。色物の作品よりは少し「捻くれた」作品が好きなんだね。

麻生さんと福田さんの総裁戦の構図が今はっきり見えた、あれはアニヲタ(麻生)とクラヲタ(福田)の闘いだったんだ!

そういや麻生さんは「アキバで大人気」っていわれてたけど、最近のアキバは行ってみるとそんなヲタクっぽくはないんだよ。むしろ家族連れとかカップルとかの方が目に付くと思うよ。

そこまで一般化してる現状を知ってると、「アキバで」って言い回しには物凄く違和感がある。別にアキバどうこうに限らず彼の政策や人柄を純粋に良いと思った人は多いと思うんだよな。

ここでもマスコミの影響の恐ろしさを感じます。
◆ 2007.09.24 Mon

Ludwigと私

演奏会無事終了しました。

ベートーヴェンは何回やっても難しい、こちらの知識と経験が増えれば増えるほど、彼の音楽はどんどん遠くなっていく。このいつも強ばった顔をしたルードヴィヒ君の遺した作品は、一生をかけて勉強するに値するほど魅惑的な存在だと思う。クラシック界では誰もが知っているキャッチーな存在だった彼がどんどん神々しく見えてくるから面白い。人の子なのにね。

勉強してると「べト2の冒頭が上手に振れないんだよなぁ!」なんて小手先のどうでもいい話ばかりになりがちなんだけど、もっと懐の深いところに彼の音楽は存在していると思う。音の出し方一つとってもマーラーなんかを演奏するときよりずっと演奏家とのディスカッションが必要な作曲家だと思う。

一人の演奏者としては本番を十分に楽しめたし、練習に人がなかなか揃わなかったことを考えたらよく頑張った演奏会だった。でも十分に詰め切れない場所がたくさんあったことは間違いなくて、この最初の「壁」を破れないまま「乗り切る」演奏会になってしまったことにこっそり責任を感じていたりもするtaxiです。こんばんは。

まぁ僕は過去の自分を検証しつつインプルーブするしかない、その日与えられた環境に臨機応変に対応しながらベストなパフォーマンスをする反射神経と能力は「経験」によってしか養えないものなんだなと痛感します。人間は生モノですなー。

もっというとどれだけオーケストラの中で苦い経験と後悔を味わったかということ、「あの時上手に出来なかった…」とか「あの時オケのみんなに迷惑をかけてしまったな…」とか、そういった一見ネガティブな経験が今現在の自分の中ではかけがえの無い支えになっています。黒歴史こそ宝です。(笑)

大学時代からずっと一緒に音楽を作ってきた素敵な仲間から嬉しい言葉をかけてもらって、何気ないことだったんけどとても救われた気がした。ここでもありがとうと言っておく。最後に僕が振りに行っているオケの子から来た嬉しいメールをここに抜粋。

私最近さ、現役の時より今のほうが、音楽をやりたくてやってる気がする。音楽の知識もセンスもないなって悩むけど、でもおもしろい。学生時代も楽しんでたし、好き放題やったけど、でもやりたくてやるというよりその環境が「あたりまえ」だったし「受身」だったなと思って。最初は社会人になってまでやるつもりはなかったし。それが今!ほんと楽しいです、もっとやりたいことあるし、上手くなりたいと思う。

彼女は夜勤なんかもあって、忙しい仕事をしている人なんだけど上手に時間を作ってオーケストラでも精力的に活動している。こういう想いを持ってオケを続けている人もいるってことを僕は声を大にして訴えたい。結局「自分次第」だと僕は思う。

落ち込むこともあるけれど、歩みを止めずに進み続けます。
◆ 2007.09.21 Fri

純粋さと素敵なあの人

たとえ言葉が稚拙で、知識に乏しい人間であっても、伝えたいという想いが強ければ人の心には何かしら伝わる。それどころか技術やテクニックは時に「あざとさ」となり、ときどき自分の首をグイッと絞めつけてきたりするから厄介、伝えたいという欲望をそのまま相手に見せることができるある種の「純粋さ」を忘れてはいけないのかもしれないな。

なんでそんなことを思ったのかは秘密にしておく、ふふ。なんでも開けっ広げに書いてしまうのはもうやめたんだ。「その姿勢自体が純粋さの欠如だ!」と思う方もいるだろうが、正直伝える相手は選びたいし、「純粋さ」は良識と品位を持ち合わせて初めて社会の中で絶妙なバランスを保って生きながらえていくのが世の中の摂理だと思うわけです。

しかし、良識と躊躇は別物だし、品位と建前も別物だ。その日の気分によってその間違った「すり替え」が起きてしまう自分の安定感の無さにときどきゲンナリする。欲を言えばイチローのような安定感が欲しいのだ!!無粋な言い方をすれば人の心を打つ打率を上げたいわけだ。でも3割は人間の世界じゃ低いわ、7割は打たなきゃ。

そう、何かしら人の心に残せる人間が素敵なんだと思う。常に「7割の賛同者と3割のアンチ」を生み続けるくらいが理想。多くの人間はどちらでもない中間層ばかり生み出してしまうつまり突き詰めると「君なんてどうでもいい」という人間だ。悲しいこというなよって思うけど、意外と現実ってそんなもの。

人間は死ぬことより忘れられることを恐れている」そんな言い回しを、度々ここでも語っているわけだが。「どうでもいい」という言葉にも同じような匂いがある、この言葉は時に物凄い恐怖と破壊力を持って襲ってくる。

相手の自由を認めてあげたいから?…違うと思うな。相手に興味がないんだよ、そういう相手に中途半端な助言を与えて共犯関係を背負うリスクは無意識に避けるし、相手と過ごす時間そのものにも興味が無いんだと思う。それって悲しい、かくして私はこのような文章を書く。

酔っ払ってるから上手く論理が成立してないかもしれん、ごめんなさい。面倒な奴もいるからとりあえず誤っとく。(笑)

今日は楽しかった、心許せる相手と飲むのは楽しい。僕はこういう人と付き合っていきたい、素敵な人というのは意外と近くにいるもんなんだな。遠くに見える蜃気楼ばかり追い掛ける人生はやめたほうが良い、幻にぬくもりは無い!素敵な人はもう既にあなたの隣にいるのかもね。(トトロ的に)

酔っ払った。おやすみなさい。
◆ 2007.09.20 Thu

ピンクの似合う男子は素敵?

男がピンクを着るなんてありえないわ!!

フランス人がそう言ってた、「ピンクは女性の色なのよ」って。実際住んでてどう感じるのかな?フランス在住の人教えて!!その子がけっこう可愛かったので妙に引っ掛かったよ。別にフランスに限らず、他の国でどうなのかも気になるなぁ。

日本ではすっかりお洒落男子の象徴的な色になってる、「ピンクが似合う男子は素敵♪」とか言っちゃう女も多い。個人的にはそんなに着ないけど、ちょっと気になった。フランス美女たちに嫌われるくらいなら俺はピンクの服を今すぐにでもメラゾーマで焼き払うぜ!ひょおぉぉぉー!

でも確かに女性を引き立たせるのが男性の役割だとすると、ちょっと日本のお洒落男子たちは色がキャピり過ぎてるな。女性より目立っちゃうのは見方によっては大人気ないわけだ、きっとそういうエスコート的な精神がないからだと思うな。もっというと女性も引き立つほど華やかな恰好してないし。

でもそんなの関係ねぇ!って俺もたまに着るわけだが、無意識にインナーでちょこっと程度にはしてるな、一応。「茶目っ気」のラインを越えてしまうとガキっぽすぎる、グローバルに捉えてみるとファッションって色々奥深い。しかしまだ秋冬物を買ってない俺は、ダサ男なのですよ!

最近お洒落する気持ちになれん、というか余裕さえない感じ。どーも着まわし太郎です、コンバンワァ!!(トムヨーク)



フランス在住の友人から生のコメントをいただけたので紹介しておく。

ピンクいるけどね、アラブ人のちょっとお洒落な男の子たち…高校生ぐらいは、ピンクと白の太ボーダーのラガーシャツ+腰パン+ヴィトン(偽)のポシェットって印象。あとはゲイかな。でも私は彼氏(日本男子32才ハゲnotゲイ)にピンクのTシャツ着せてる。TF1のインド系の天気予報のおじさんも、常に電通マンのようなカラーシャツだ。

そういえば日本人だったか韓国人だったかの男子の団体を見て、仏女が「男がヴィトンって(゚Д゚)ハァ?」って言ってた事があったよ。 あと「エスコートしない男はゴリラと一緒」らしい。でのその「エスコート」も優しさじゃなくて習慣だからね。

ここを勘違いすると日本で男子にエスコートされた経験の無い女子は舞い上がって、『しょうもない』仏男にひっかかるw

どうもアラブ系の方々はピンクが好きらしい、意外だ。 実はゲイのイメージがありそうだと危惧してた、そういう誤解を与えるととりわけ海外では何かと面倒だから。彼氏にあえて着せるのはまさか逆の意味での予防線??(笑)

「エスコート=習慣」か、無骨に女を従えて来た日本の古い男女構造を考えると日本ではまったく浸透してないな。でもそれ逆手に取ればエスコートのできる男性は日本では格別の存在になれるわけだから、ある意味おいしいかも。

ピンクピンクしてるのは高校生くらいが多いよね。おしゃれなかっこいい男の子に多い。可愛い子とか。 ある程度年いくとあんまり見ないかなあ…特定の範囲の人を除いては(笑) やっぱり難しい色だし、子供っぽく見えるし、イメージが強いからじゃない?

だけど個人的にはピンクをうまく使えてる男の人ってやっぱりステキって思うけどね。

ピンクは幼さを強調してしまうところは少なからずあると思う、そういう色の持つ個性に完全に自分を塗りつぶされやすい人にとってはピンクって怖い色だと思う。慎重に上手に使わないと。

フランスでピンク、日本からこちらへ戻ってきて考えてたところです。(関西人、ワードロープのピンク率高し:苦笑)

だってね、パリではほんとピンク着てる人男も女も少ない。 子供とアラブ系のオジサンとDiorやシャネルなどの典型的なお金持ちオバサンのイメージが。後は、マヌカンぽい超カワイイ女の子??

日本は割り合い、ファションは色の組み合わせとか先に考えちゃうところもあるけど、ヨーロッパはカタチとかライン重視だろうな。 その点、日本人の体格だと不利だなと思うことも多い。

しかしお勤めの方のピンクシャツ、日本じゃ増えてるね。何でだろ?白がいいとおもうのだけどな〜。まずセクシーじゃないかい??

子供、アラブ系、モデル系、セレブ、ゲイ…だいぶ現実見えてきた。関西人のピンクは間違ったピンク使いの典型が多いかも、色の組み合わせ重視の日本にあっては異端的存在と言える。

スタイル良いなら、体の線をどう見せるかそこにどんなフォルムを加えるかという部分が必然的にウェイトを占めていくのでしょう。

白シャツのセクシーさは体の魅力とも相関関係かもしれません、淡いピンクは体の輪郭を曖昧にして柔らかいイメージを与えるから男の凛々しさやセクシーさを演出するなら白だと思う。
◆ 2007.09.19 Wed

狩猟としての恋愛

歴代の彼女との指輪をネックレスに付けてる友人を見て「まるで狩猟民族だな!」と思った。名誉なのか?そうなのか?

でも女性の立場を考えたらあんまり良いものじゃないね、「あたしは獲物かよ!」ってツッコミたくもなるだろう。(笑)

よく考えたけど、やっぱあれは名誉ではなく「敗北の象徴」だ。恋愛なんて数しようと思えばいくらでも出来ると思う。誘えばいいんだから、恋の起動方法は極めてシンプルだ。難しいのは「続ける」こと。続かないもんだよね、恋って。

勿論、その始め特有の「刺激」だけを求めるならアリだけど、指輪買っちゃうってことはそこそこ本気だったんだろう。そう考えると、やっぱり恥部を露呈しているように思う。

あるいはただ単に、モノを大切にしている人なのかも。(笑)



「別れるなら、ペアリング買うな」ってのは誰もが思う。でも買っちゃうのが男女の性なのかもしれんね、恋は麻薬だ!その麻薬が効いている間はその後にくるドン底の自分なんて頭の片隅にも無くて、きっと永遠に続くもんだと思い込むんだ。

ペアリングというのは一種の儚き「祈り・おまじない」であり、或いは「熱い男女の関係」という類型にお互いをはめ込んでときめきを得るための「儀式」だから仕方ないところはある。
◆ 2007.09.14 Fri

大人の苛め

安倍さん病んじゃったか、辛かったんだろうな…。

あんだけマスコミが検察みたいに閣僚にガサ入れして揚げ足取りに奔走してたこと考えると気持ちは凄くわかる。ちょうど「いじめ問題」に警鐘を鳴らすマスコミ自身が、安倍さんを叩き台にして「いじめ」の分かりやすい例を世間に見せることの矛盾についての文章を書いてた矢先の、辞意表明に驚いた。思わず書きかけの文章消しちゃった。

政治がガタガタになって、立て直さなければならない今、心新たに進もうとする政治家の足をマスコミが引っ張る。過去の問題を現在に引っ張り出して、結局それらが導くのは政治の「空白」であって国民にとっては不利益でしかない。チェック機能としてのマスコミの必要性は認めるけれど、ちょっとワイドショー化しすぎだと思う。頭が悪いんだよ。

それを見て同調してる国民はもっと頭が悪い。やれやれ。こういう分かり易い構造になると強気に叩く単純な人たち、何かが違うでしょといいたい。今必要なものは何なのか。あまりこういう話題を書くのは避けたかったんだけど、さすがにちょっと腹立たしくなったので控えめに書いとく。

とりあえず安倍さんには「おつかれさま」と言っておきたい。僕には首相さえ病んでしまうようなこの国の体質こそ疑問だ。あとは敬愛するローゼン閣下こと麻生氏に期待することにしよう、とかいってなんだかんだで福田氏が台頭してきそうだけどさw
◆ 2007.09.09 Sun

個性と孤性

掲示板やmixiコミュでたまに見かけるこの言葉が気になる。

管理人様、不適切でしたら削除してください。

管理人に判断丸投げするのって無責任だと思わないのかなぁ、自分でそこの価値判断した上で投稿するのが常識じゃね?と。こういう書き方する人って大抵頭が悪いというか読解力がない、だからこのフレーズが出てきた後は決まって掲示板が荒れる。

自分が発言したり行動するときに、相手がどのように思うかをシュミレーションをするチャンネルがすっぽり抜け落ちているのだ。これらの主な原因は幼少期にあると個人的に考えている。小さい時に「本」を読まなかった人、「人間」を読まなかった人は、「文学的感性」で接してくる日本人の中では中々上手くいかない。

全てを言葉に出さず、相手の表情と行動と僅かな言葉からその思いを推し量り合う日本のコミュニケーション形態は非常に文学的だと思う。「空気を読む」とかいう日本独特の言い回しが流行ってるけど、文学というものも活字から浮かび上がる「空気(或いは語間)」を読む作業だということを考えると、この言い回しは何となく理解できる。

しかし、「本」ばかり読んで「人間」を読まなかったタイプはもっとタチが悪い。自分の知識と価値観がどこかで絶対的だと思ってて、中途半端に頭が良いから、捻くれ過ぎていてとても扱いにくい。こういう人は学者か教授にでもならないと生きていけない気がするわ。

逆に「本」を読まなくても「人間」をちゃんと読んできたタイプは非常に信頼できる人が多かったりする、ここが不思議なんだけど。結局、知識でコミュニケーションするのは無理ってことなのかもしれん。「人と上手く接する方法」みたいなマニュアル本をたまに見かけるけど、ああいう本は良くない。本の知識で価値判断しようする時点で、相手を見る「目」が曇ってしまって、逆に混乱しちゃうと思う。

でも、普段そうやって顔の見える関係の中では空気を読み合って、譲り続けることによってある種の抑圧を受けている日本人だから、ネット上ではそういう相手を叩く方も容赦なくて、陰湿なんだな。現実世界で溜まったものをネットの世界に全力で向ける日本人は色んな意味で怖いから、良い子のみんなも気をつけるんだよ。

しかし、最近の個人を無駄に尊重する風潮はなんなんだろう、「価値観は人それぞれ」というよく分からん「価値観」が蔓延してる。だから常識に則ってモノを言っても「価値観の押し付けだ!」なんて安直に反論するおバカが増えた。もう見てらんないね。どんなトンデモ論者でも擁護する変わり者が必ず出てくる。

価値観の多様性?冗談じゃない、自己の怠慢や非常識さを多様性に則って正当化することで生きながらえているだけだよ。「個性」と「孤性」は違うってことを彼らは知るべきだ。

きっと親もおバカなんだろうな、世代って怖いですね。そうですね。本当の意味で「ゆとり」なのは親の方だったのかもしれん。



ある賢明な方から頂いたメッセージが非常に簡潔で的を得た内容だったのでここにも紹介しておきます。

日記読ませてもらいました。日本の文化大切にしていきたいですね。情報を自ら取捨選択するという文化もしくは教育をあまりされていない日本人の生活、社会に利益追求、個性の尊重といった中途半端な枠組みだけの欧米文化が入り込んでしまった結果のような気がします。色々と考えさせてもらいました。

正にこの構造!なんというアンバランス社会!

◆関連記事:「人間を読む」(2005/03/06)
◆ 2007.09.06 Thu

外見と中身

安心な僕らは「人間は中身だよ」って言葉を頻繁に使う。

外見が良くない人間への慰めの言葉というわけではなく、「外見ばっかり気にしてちゃダメだよ」、という意味で主に両方のバランスのことを指して言っている場合が多い。

けど「人間は中身だ」なんて趣旨の文章など決して書くまい!それじゃ正論過ぎて、文章としては空気になっちゃうからな。敢えて、今回は逆のことを考えてみたいと思うわけだ。

「人間は中身」という言葉は非常に響きが良い。しかし、その論理に執着して「外見」を軽視しすぎるのはどうなんだろうと僕は時々こっそり考えていたりする。(まぁここに書いた時点で全然こっそりじゃねーけど!)誤解の無いよう初めに書くが、この「外見」ってのは顔の作りとかじゃなくて服装とか髪型とか。そっちの話。コンプレックスのない人間なんてどこにもいないわけだし、生まれ持った個々のポテンシャル(「どう生まれたか」)よりもその後の「どう生きるか」の方がよっぽど重要な問題なのだ。

毎日、人は数えきれないほどの人間に会っている。その中で会話を交わすなど何らかのコミュニケーションを交わし「中身」まで窺い知れる所まで親しくなれるような人間など滅多にいない。殆どは「その場限り」で終わる。つまり、殆どの人間は自分達をまず「外見」で判断する。

「人間は中身だ」というのは真理だし、自分もそう思ってる。でもそれは、親しい関係やある程度の時間接触が続く人間との関係においてのみ言える、ということを忘れてはならぬ。

自分のファッション、髪型、メイクなどの「外見」によって出会った相手側に無意識レベルで「分岐と選択」が発生する。それらは、その人に話しかけるかどうか、興味を持つか…といったコミュニケーションの根幹を決める要素になる。

そういうものの集積として、自分の付き合う人間の質は決まるし、それが最終的には人生を決める要素にもなっていくように思う。

魅力的な人間は「あの人はオーラがある」なんて言われるが、ここでいう「オーラ」とかいう曖昧な言葉を分析していくとファッションなどの諸要素によって演出されていることが多い。もちろんそういう人は哲学や価値観も魅力的であるのだが。

結局、本当に「中身」がしっかりしてる人間であるならば、無意識に、理想の「スタイル」に忠実に自分を演出するから大抵「見た目」もしっかりしてくるということだと思う。

つまり言いたいのは「どっちもリンクしてんじゃね?」ってこと。例えば「いい女になりたい」と思うだけで女性が魅力的になるのは、「外見」を意識することで「中身」も変わったってことだ。どちらから入っても結果が同じなら良いんじゃないかと思う。

それすら思わぬ人間の言い訳のために「人間は中身」という言葉はあるんじゃないということは忘れてはならない。


…だから僕は秋物を買いに行かねばならぬ、ならぬのだ!!

◆関連記事:「衣装が人生を決める」(2005/06/29)
◆ 2007.09.05 Wed

今世紀ヱヴァンゲリヲン

「…ただいま。」

ヱヴァ公開二日目にして既に2回観たアホがここに一人、本当に日課になってた!まだ暇ができたら行くつもり、一緒に観にいきたい人は誘ってね。ノコノコ付いてくぜ!

テレビ放映から12年もの歳月が流れた。当時エヴァに夢中になっていた思春期真っ盛りの少年少女たちはすっかり「大人」になっている。彼らは「新しさ」と「懐かしさ」の入り混じった不思議な感覚と共にこの映画を観たことだろう。

正直にいってこの12年間、エヴァンゲリオンを越えるアニメは出てこなかったと思っている。緻密で難解で魅惑的な世界観というエヴァが打ち立てた一つの金字塔に誰も挑もうとはせず、(その意味で押井守はよく頑張っていた!)内容が単純明快で直ぐに市場に結び付きやすいキャラ重視の萌えアニメが人気を博するようになった。間違いなく時代は「変わった」んだと実感する。

しかし、その一方でCG技術の進化と浸透を経てアニメはここまでの美しさを表現できるようになった。12年振りに「再起動」したヱヴァンゲリヲンは、全てのクリエーターとアニメ業界に警鐘を鳴らすかのように華麗にスクリーンを舞い、再び人々の心を侵食し始める。

前作の劇場版を示唆するかのような描写、赤い海。明かされぬ西暦、人型の白線、空白の第3使徒。渚カヲルの血塗られた月面での目覚め、複数の棺。「また3番目か。変わらないね君も。」という台詞。月面に横たわる旧世紀版のリリス、セントラルドグマで磔にされた仮面の違うリリス。うむ、謎は深まるばかり。

スパイラルなのか、ループなのか、パラレルなのか…

色々な憶測が生まれてくる、そしてどれも否定できない。再び人々は「語りつくされた」この作品について語り合う、全ては繰り返され「繋がっている」それだけは間違いない。

殆ど変更点はなかった!」とか書いている人もいるが、どんだけ鈍感なんだよと思う。それだけ見る側の洞察力と知識によって情報量が違ってくるということなのかな。というわけで初めて見る人はアニメ版と旧劇場版を観て
予習したほうが楽しく観れるような気もしなくはない。

結局、観たい人だけ観に行けばよい、テレビと違って劇場までにはそれを選択するだけの距離も時間もある。とりあえず、最後のスタッフロール中に帰らないようにね、あの後に「次回予告」が流れる、せっかちな現代人は注意だ!

次回作はタイトル通り「破」がキーワードになっていく。弐〜六号機が登場し、新しいパイロットも登場するようだ。 個人的には「次第に壊れてゆく碇シンジの物語」っていう言い回しが妙に引っ掛かった、「碇シンジの物語」という言葉を深読みすると物凄い「オチ」が待ってる気もする。

昔の自分へ、そして新しいエヴァにこの言葉を捧げよう。

「おかえりなさい。」
◆ 2007.09.01 Sat

ラジオ頭

Radioheadが大好きだ、今更だけどよー。

今や世界的なUKバンドだけど、大衆的な音楽とは言い難い。内面的で暗い歌詞と終末的な雰囲気は聴く人を選ぶと思う。彼らの音楽に何度も救われた、思い入れありまくりんぐ。

オケ関係で知り合った友達には全くといっていいほど、クラシック以外の音楽の話題を振ってもらえないのでこちらからその風呂敷を広げてみようと思うんだよ。(笑)

関係ないようで、彼らとクラシック音楽との繋がりは深い。6thアルバム「hail to the thief」はペンデレツキのチェロ協奏曲にインスパイアされた作品だったんだぜ!

ギター担当のジョニー・グリーンウッドは10代の頃から現代音楽のコンサートに通い詰めていた筋金入りの人物だ。2004年にはBBCの専属作曲家に任命され、BBC交響楽団のためにクラシック作品を作曲している。メシアンに強い影響を受け5thアルバム「Amnesiac」ではオンド・マルトノを使用するなど、その音作りの裏側にはクラシック音楽の影響が色濃いのだ。

今日は好きな曲をいくつか紹介してくぜ!興味のわいた奴は是非アルバムを買え!!(命令)個人的には初期の2nd「Bends」も好きなんだがやっぱり3rd「OK Computer」と4th「KID A」の二枚がオススメ。

「paranoid android」/ OK Computer
狂ってます、病んでます、でも美しいのだよ。


「No Surprises」/ OK Computer
沈みます、カラオケでよく歌って沈みます。


「Motion Picture Soundtrack」/ KID A
歌詞が悲しい、最後の"I will see you in the next life"で
俺は泣いた。「来世で会おう」って!!そんな恋って!!!


最後に思い出深い映像を。

「Creep」/ Pablo Honey
彼らが飛躍するきっかけとなった一曲。


デビュー版「Pablo Honey」に収録されている「Creep」、「The Bendsが自分達のデビューアルバム」とメンバー自身が語っていて、このアルバムにあまり満足していなかったためか近年はライブで取り上げることもなくなっていた。

しかし03年サマソニのアンコールで「Creep」を突然解禁、このサプライズは日本のファンの間で今も語り草なのだ。歌い終わった後、狂乱するオーディエンスに向かってトムがアリガトウと間違って「コンバンワァ〜!」と叫んだのも有名、通称「コンバンワ伝説」である。映像の最後にちゃんと入ってるのでチェックすべし。(笑)

あー早く来日してくんないかなぁ。もう3年も待ってるぜ。


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