◆ 2008.04.28 Mon
聖火リレーに想う
聖火リレーの話が色々なところで話題に上っているので、その流れに乗って僕もこの問題についての思うところをを書いていこうと思う。
政治とスポーツは違うって言うけど、聖火リレーの始まりはナチス政権下のベルリンオリンピックだし背景にはメチャクチャ政治色があるわけで。そんな有名な史実を引用をするまでも無く、スポーツと政治は別でも、オリンピックと政治となれば話は別だろう。どれだけその裏に企業や政治の利権が絡んでることか、まして中国は過去に政治的な理由でオリンピックをボイコットしていた経験があるしだなぁ。うん。
警察の対応も酷かったらしく、チベット派は完全に押さえ込まれた。要は「中国と揉めたくないから、中国人は逮捕しないでね♪」っていうお達しがあったと推測される、憲法違反に抵触しかねない暴挙である。詳しくはこちらの記事を読んでもらうと現地の状況がよく分かる。(mixiの方限定ですが、リンクして構わないとのことなので紹介させて頂きます)テレビからの情報なんて当てにならない時代になっちまいました。
上に紹介した映像は中国人が長野駅前のモニュメントによじ登って、それを降りさせろと訴えているのに警察の方々が何故か中国側をかばうようにモニュメントを取り囲んでいるという奇妙な光景が確認できます。これが日本人だったら「ただちに降りなさい!」なんて警察は言うんでしょうが、中国人がやるとそれ黙認するどころか日本人から守っちゃうわけです。これはひどい。
結果的に、翌日のCNNなどでは「日本人も聖火を歓迎してました(笑)」というような内容の報道がされ、世界から冷たい視線が注がれている。一方で善光寺の一連の行為は海外から賞賛を受けている、あの英断が無かったら本当に日本は終わってたのかもしれない。政府はサミットとか胡錦濤来日とか示唆してチベット問題を静観、テレビ局はオリンピックの放映権をちらつかされ偏向報道…結局すべては利権で動く世の中だ。
でもね、聖火の行方ばかり気にしてるけど、その根幹にあるチベットのことを忘れたくない。拘束された僧たちがその後どうなったのか、ラサは今どんな状況なのか、死亡者は出ているのか、そういった「現場」の情報が全くといっていいくらいメディアから流れてこないことに恐怖を感じる。もう1950年代から120万人も殺されてるってんだから恐ろしい、人口5分の1以上の国民が消されたわけだ。
いつの間にか、「チベットへの関心」から「聖火への関心」へとすり替えが起きてきている気がする。上手に問題を摩り替えナショナリズムを扇動する中国政府のやり方を見ていると、あの時のことを思い出しちまうね。僕の「何もしない放置プレイが一番効果絶大」という考えはこの当時も今も変わらないわけですが、ちょっと今回は国内で起きてるから見過ごせなかった。
こういう平和ボケした時代に育った現代の若者の多くはネットで匿名で中国批判するくらいが精一杯なんだと思う。団塊の世代のようにヘルメット被って行動しようなんて熱さを持った人は殆どいない、むしろ行動するとすぐに「過激派」なんていわれてカルトな人間と見なされる恐怖が付きまとう。そういう「行動のハードル」が高くなってて、何もしないことがモラルになってるのが現代日本なのかも。
でも、これだけ日本にいる外国人が徒党を組むと物凄いことになることがわかったことで外国人参政権はますます遠のいたし、外国人留学制度を始めとした権利も問題視されていくと思う。まぁ中国に気持ち悪いくらい友好的な福田さんは何にもしてくれないと思うけど。
政治の話はここであまりしたくないんだけど、ネット上で現地の警察の対応が異常だったことを知り、その憤りを文章にしてみた次第です。つまらない文章ですいません。最後に、長野に行った友人の皆様、本当にお疲れ様でした。
かく言う自分は当日は午前中はピアノ弾きながらスコア勉強して、午後はワイフとデートしてました。愛こそが平和だ、何かあった時に一番に守らなきゃいけない存在を日常の中で大切にすることも大事だよ。これはガチ。
◆関連記事:「反日デモに想う」(2005/07/08)
政治とスポーツは違うって言うけど、聖火リレーの始まりはナチス政権下のベルリンオリンピックだし背景にはメチャクチャ政治色があるわけで。そんな有名な史実を引用をするまでも無く、スポーツと政治は別でも、オリンピックと政治となれば話は別だろう。どれだけその裏に企業や政治の利権が絡んでることか、まして中国は過去に政治的な理由でオリンピックをボイコットしていた経験があるしだなぁ。うん。
警察の対応も酷かったらしく、チベット派は完全に押さえ込まれた。要は「中国と揉めたくないから、中国人は逮捕しないでね♪」っていうお達しがあったと推測される、憲法違反に抵触しかねない暴挙である。詳しくはこちらの記事を読んでもらうと現地の状況がよく分かる。(mixiの方限定ですが、リンクして構わないとのことなので紹介させて頂きます)テレビからの情報なんて当てにならない時代になっちまいました。
上に紹介した映像は中国人が長野駅前のモニュメントによじ登って、それを降りさせろと訴えているのに警察の方々が何故か中国側をかばうようにモニュメントを取り囲んでいるという奇妙な光景が確認できます。これが日本人だったら「ただちに降りなさい!」なんて警察は言うんでしょうが、中国人がやるとそれ黙認するどころか日本人から守っちゃうわけです。これはひどい。
結果的に、翌日のCNNなどでは「日本人も聖火を歓迎してました(笑)」というような内容の報道がされ、世界から冷たい視線が注がれている。一方で善光寺の一連の行為は海外から賞賛を受けている、あの英断が無かったら本当に日本は終わってたのかもしれない。政府はサミットとか胡錦濤来日とか示唆してチベット問題を静観、テレビ局はオリンピックの放映権をちらつかされ偏向報道…結局すべては利権で動く世の中だ。
でもね、聖火の行方ばかり気にしてるけど、その根幹にあるチベットのことを忘れたくない。拘束された僧たちがその後どうなったのか、ラサは今どんな状況なのか、死亡者は出ているのか、そういった「現場」の情報が全くといっていいくらいメディアから流れてこないことに恐怖を感じる。もう1950年代から120万人も殺されてるってんだから恐ろしい、人口5分の1以上の国民が消されたわけだ。
いつの間にか、「チベットへの関心」から「聖火への関心」へとすり替えが起きてきている気がする。上手に問題を摩り替えナショナリズムを扇動する中国政府のやり方を見ていると、あの時のことを思い出しちまうね。僕の「何もしない放置プレイが一番効果絶大」という考えはこの当時も今も変わらないわけですが、ちょっと今回は国内で起きてるから見過ごせなかった。
こういう平和ボケした時代に育った現代の若者の多くはネットで匿名で中国批判するくらいが精一杯なんだと思う。団塊の世代のようにヘルメット被って行動しようなんて熱さを持った人は殆どいない、むしろ行動するとすぐに「過激派」なんていわれてカルトな人間と見なされる恐怖が付きまとう。そういう「行動のハードル」が高くなってて、何もしないことがモラルになってるのが現代日本なのかも。
でも、これだけ日本にいる外国人が徒党を組むと物凄いことになることがわかったことで外国人参政権はますます遠のいたし、外国人留学制度を始めとした権利も問題視されていくと思う。まぁ中国に気持ち悪いくらい友好的な福田さんは何にもしてくれないと思うけど。
政治の話はここであまりしたくないんだけど、ネット上で現地の警察の対応が異常だったことを知り、その憤りを文章にしてみた次第です。つまらない文章ですいません。最後に、長野に行った友人の皆様、本当にお疲れ様でした。
かく言う自分は当日は午前中はピアノ弾きながらスコア勉強して、午後はワイフとデートしてました。愛こそが平和だ、何かあった時に一番に守らなきゃいけない存在を日常の中で大切にすることも大事だよ。これはガチ。
◆関連記事:「反日デモに想う」(2005/07/08)
◆ 2008.04.19 Sat
「CDを聴く」という行為
デスクトップPCがだいぶ前にご臨終になったが、遂にiPodまで昇天なされた。
CDにして約1000枚分の音楽データを失ったことになる。殆どCDを所有しているから良いんだけど、データを写す気力はさすがにない。クラシックを中心にメジャーな作品はもちろん満遍なく入っていたから(ハイドンなんて交響曲1〜104番まで全部入ってた…)、「移動式HMV」のようなこの便利アイテムを失ったのは少々惜しい気がする。
…でもiPodを失ったことで変わったことがある。
それは「1枚のCDを聴くという行為の持つ意味」だ。高校時代などはCDを買ってくるとそれをワクワクしながらプレーヤーに乗せて、中に挿入されているブックレットなど読みながら曲を味わっていたものだった。しかし音楽がデータ化されるようになってから、なかなか「一枚のCDを味わう」ということをしなくなっていたなぁと気付いたわけだ。
レコード時代を謳歌したオッサンならきっと共感してくれると思うんだけど、恐らくCDをプレーヤーにのせる時点から既に始まっているのだ。そしてCDは一つのアルバムに一つのタイトルだから、自然と一枚のCDを最後まで味わうことが多い。クラシックにいたっては、それを聴きながらサラリーマンが指揮者の真似事を始めてしまう!(そして、それを妻に目撃されると死にたくなるんだ)
一方、iPodやiTuneはすぐに曲を変えられるから、つい次々と曲を変えてしまいがちだ。その様子たるや、飽きたおもちゃを次々と投げ出してしまう子供のようだ。
こんな風に書いてしまうと、CDを聴くことをまるで一本の上質のワインを味わうような行為にまで無理矢理高めているようで、「気取ってんじゃねぇよ!」と青木さやかの如きお叱りを受けそうだ。でも、ライブにしろメディアにしろ「芸術家と対峙すること」に変わりはない。そういう感覚は大事だと思ったわけだ。
それからブックレットという短いエッセイや解説を沢山読むことで養った知識というのも馬鹿にならない、世に言うヲタク共の知識の7割くらいはブックレットから得たものなんじゃないかと僕は勝手に思っている。実際僕は高校時代にクラシックCDを買い漁り、ブックレットを読んでいただけなのに今だにクラシックの知識量は周りの音楽仲間の中では多い方だったりする。塵も積もれば山となるけど、いきなり山に見せられちゃうと塵に目がいかなくなってしまう。
でも、外で音楽聴きたいのでやっぱり新しいiPodが…(以下省略)
CDにして約1000枚分の音楽データを失ったことになる。殆どCDを所有しているから良いんだけど、データを写す気力はさすがにない。クラシックを中心にメジャーな作品はもちろん満遍なく入っていたから(ハイドンなんて交響曲1〜104番まで全部入ってた…)、「移動式HMV」のようなこの便利アイテムを失ったのは少々惜しい気がする。
…でもiPodを失ったことで変わったことがある。
それは「1枚のCDを聴くという行為の持つ意味」だ。高校時代などはCDを買ってくるとそれをワクワクしながらプレーヤーに乗せて、中に挿入されているブックレットなど読みながら曲を味わっていたものだった。しかし音楽がデータ化されるようになってから、なかなか「一枚のCDを味わう」ということをしなくなっていたなぁと気付いたわけだ。
レコード時代を謳歌したオッサンならきっと共感してくれると思うんだけど、恐らくCDをプレーヤーにのせる時点から既に始まっているのだ。そしてCDは一つのアルバムに一つのタイトルだから、自然と一枚のCDを最後まで味わうことが多い。クラシックにいたっては、それを聴きながらサラリーマンが指揮者の真似事を始めてしまう!(そして、それを妻に目撃されると死にたくなるんだ)
一方、iPodやiTuneはすぐに曲を変えられるから、つい次々と曲を変えてしまいがちだ。その様子たるや、飽きたおもちゃを次々と投げ出してしまう子供のようだ。
こんな風に書いてしまうと、CDを聴くことをまるで一本の上質のワインを味わうような行為にまで無理矢理高めているようで、「気取ってんじゃねぇよ!」と青木さやかの如きお叱りを受けそうだ。でも、ライブにしろメディアにしろ「芸術家と対峙すること」に変わりはない。そういう感覚は大事だと思ったわけだ。
それからブックレットという短いエッセイや解説を沢山読むことで養った知識というのも馬鹿にならない、世に言うヲタク共の知識の7割くらいはブックレットから得たものなんじゃないかと僕は勝手に思っている。実際僕は高校時代にクラシックCDを買い漁り、ブックレットを読んでいただけなのに今だにクラシックの知識量は周りの音楽仲間の中では多い方だったりする。塵も積もれば山となるけど、いきなり山に見せられちゃうと塵に目がいかなくなってしまう。
でも、外で音楽聴きたいのでやっぱり新しいiPodが…(以下省略)
◆ 2008.04.19 Sat
音楽とセックスは相似形
最近色んなコンサートに行ってます。
こないだはノセダ指揮&BBCフィルの演奏会でヒラリーハーンのシベリウスを聴いて久しぶりに感動した、ノセダの指揮良かった、情熱的だけど力押しじゃなくて、聴かせ上手で…ああいうタイプの巧さに僕も憧れる。ヒラリーハーンも凄かった、最前列で聞いて悶絶した。
あとは諏訪内晶子のリサイタルにも行ったな。ドビュッシーはあの日の白眉だったと思う、フランスに住んでるとやっぱ違うのかなとか考えたり。でもあの人の音はやっぱ近代が合うと思った、シュニトケとかね。
…全部思い出せない。学生&アマオケもいくつか聴きました。
うん、生はやっぱり良いね。こないだの音楽仲間との飲み会などでは、勢い余って「音楽にコンドームはいらない!」という名言を生み出してしまったほどだ。バーンスタインの言葉を引用するまでもなく「音楽とセックスは相似形」なのだよ。
演奏を見れば、その人のセックスがどんなものかが大まかに想像できる。美しい旋律を血も涙も無く奏でる演奏家などは淡々としたセックスをするだろうし、テンポが走りがちで落ち着きの無い演奏家はせかせかしたセックスをするだろう。しかし、そう考えると濃厚で重い演奏をするロシア人演奏家などはみんな絶倫ということになってしまうのだが。(笑)
そういう卑猥な視点でしか演奏家を見られなくなったら君はもう変態だ!おめでとう!
こないだはノセダ指揮&BBCフィルの演奏会でヒラリーハーンのシベリウスを聴いて久しぶりに感動した、ノセダの指揮良かった、情熱的だけど力押しじゃなくて、聴かせ上手で…ああいうタイプの巧さに僕も憧れる。ヒラリーハーンも凄かった、最前列で聞いて悶絶した。
あとは諏訪内晶子のリサイタルにも行ったな。ドビュッシーはあの日の白眉だったと思う、フランスに住んでるとやっぱ違うのかなとか考えたり。でもあの人の音はやっぱ近代が合うと思った、シュニトケとかね。
…全部思い出せない。学生&アマオケもいくつか聴きました。
うん、生はやっぱり良いね。こないだの音楽仲間との飲み会などでは、勢い余って「音楽にコンドームはいらない!」という名言を生み出してしまったほどだ。バーンスタインの言葉を引用するまでもなく「音楽とセックスは相似形」なのだよ。
演奏を見れば、その人のセックスがどんなものかが大まかに想像できる。美しい旋律を血も涙も無く奏でる演奏家などは淡々としたセックスをするだろうし、テンポが走りがちで落ち着きの無い演奏家はせかせかしたセックスをするだろう。しかし、そう考えると濃厚で重い演奏をするロシア人演奏家などはみんな絶倫ということになってしまうのだが。(笑)
そういう卑猥な視点でしか演奏家を見られなくなったら君はもう変態だ!おめでとう!
| Home |

