◆ 2008.05.25 Sun

無難を自称する「君」へ

湯船に浸かりながら、ふと『お洒落ってなんだろう』と思う。

そんなことを考えたのは「脱オタクしてお洒落しようぜ、ひゃっほう!」みたいなアプローチで着こなしのノウハウを紹介する記事を最近よく見かけるようになったせいかもしれない。増田になってうじうじ書いてても仕方ないので、ここで思うことをカミングアウトしてみたい。

そこに提案されている着こなしは良くいっても無難だし、普通の感覚で率直にいえば大半はダサかった。とても「着こなし術」なんて括弧付きで他人に教えるようなクオリティじゃないし、書いてる人も本当はファッションに特別興味のない「無難な人」が多いんだろうと思った。真っ直ぐな向上心を抱いた素敵ボーイが、ああいった記事を鵜呑みにするのは不憫で仕方ないんだ。

まず結論から、日本人にとってのファッションとは「度胸」だ。

それが全てじゃないけどね、まぁ聞いてくれ。「日本人にとって」と書いたのには意味がある、日本人は「自分」に自信がなかったりやたらコンプレックスを持ってる人が比較的多いと思うんだ。実際に試したこともないのに「どうせ似合わない」とか「自分には派手」とか思い込んで結局はダサい格好に逃げて、それを「でも無難でしょ」と言い張る人間のなんと多いことか。

大体にして「ダサい→無難→お洒落」という3ステップで考えてるのがおかしい、世の中にはお洒落な人とそうでない人の二つしかいないんだZE。無難という言葉は優しい日本人の精一杯のフォローでしかない。お洒落かどうかを決めるポイントなんて結局センスであって、センスの無い人間はいくらメソッドを読んでもセンスのない脳みそで噛み砕いた時点でもうそれはお洒落じゃなくなってる。

そういうわけでセンスもメソッドもいらない凄く簡単な方法を提案。

ここで「お洒落な店に行って店員に全身コーディネイトを頼む」っていうと思った人は半分当たってるけど僕の提案するのはもっとハードコアです。ディスプレイのマネキンの恰好をそのまま全身買うんだ!!お洒落のことを一日中考えてるセンスの良い店員が考えた渾身のコーディネイトをそのまま頂くというわけだ。

たぶんお洒落じゃない君(仮)のセンスはそのコーディネイトに違和感や抵抗を覚えるはず、そこで物怖じない「度胸」を持つことが大事だ。その違和感こそが正にお洒落な人とそうでない人を分かつ国境線なのだと早く気付こう。試してみると急に色々見えてくるし(「髪型がマズイなぁ」とか、「靴が終わってる…」とかね)、実際に身に付けることで初めてそのコーディネイトに込められたセンスが自分に憑依する。

最初にちょっと書いた店員(お洒落な友人の方がベターだけど)に全身コーディネイトを頼むのもいいんだけどさ、恥ずかしがり屋な人にとっては買っちゃっう方が楽だと思うんだ。それが楽しいと感じた時、君(仮)が本当に高校時代に体験するべきだった「お洒落ごっこ」を取り戻せるんじゃないかな。社会人は土日しか着ないんだから余裕あること限りなし、やらない手はない。
◆ 2008.05.12 Mon

磨耗する魂と味方の見かた

中央線でまた人身事故があった。

有り余る想像力も手伝って心が痛む上に予定も狂う、社会に圧迫された人間が最後に選択した社会へのささやかな抵抗なのか、或いはたくさんの人に迷惑をかけることで生きた証を残せると思い込んでしまったのか、それとも失意の中でただ目の前の死の扉に吸い込まれていっただけなのだろうか。

そんなこと解らないし、本当は解りたくもない。いずれにしろ、ここ最近の鉄道には負のオーラが渦巻いていてブレーキ音さえ悲鳴のように聞こえてくる。気が滅入ってしまう、急ブレーキが軽くトラウマになってしまった。新しいiPodを早く買って音楽の車列の中に逃避したい。

ワイフと村上春樹の小説『ノルウェイの森』の中で主人公のワタナベ君が緑と入るシーンが出てくることでちょっとばかり有名なジャズ喫茶に行ってきた。薄暗くて落ち着いた雰囲気がとても気に入った、素敵な場所を教えてくれてありがとう。ずっとモヤモヤしていた気持ちがスッとした。

 ―ドイツ語の授業が終わると我々はバスに乗って新宿の町に出て、紀伊国屋書店の裏手の地下にあるDUGに入ってウォッカ・トニックを二杯ずつ飲んだ。
 ―僕は黙ってセロニアス・モンクの弾く「ハニサックル・ローズ」を聴いていた。

 DUGに着いたとき、緑は既にカウンターのいちばん端に座って酒を飲んでいた。彼女は男もののくしゃっとした白いステンカラー・コートの下に黄色い薄いセーターを着て、ブルージーンズをはいていた。そして手首にはブレスレットを二本つけていた。 
 「何を飲んでいるの?」と僕は訊いた。
 「トム・コリンズ」と緑は言った。」
                                    『ノルウェイの森』村上春樹

小説と現実が出会う瞬間。…いや、人生とは小説そのものではあるまいか!

どんなに陰鬱としたストーリーが続く小説でも最後の最後に「小さな希望」が示唆されていれば、人間は本を閉じた後に再び自分の小説の世界(≒現実世界)を前向きに歩んでいけるということだ。

そして、自分の「絶対的な味方」が存在するならばその小説を自ら閉じるべきではない。それがたとえたった1人だったとしてもだ。なぜなら君の「絶対的な味方」である人間にとっての「絶対的な味方」は君自身だからだ。

今日は良い気分で眠れそうだ。おやすみなさい。
テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ
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