◆ 2008.07.19 Sat

いつかを今に

前の日記で書いた入院している女性のお見舞いに行ってきた。

彼女に会う時はいつも、「何か気の利いた一言を言わなきゃ」なんて構えがちなんだけど。彼女の「顔が見れただけでも幸せだから」という言葉にいつも救われてしまう。抗がん剤を打つと副作用で手足が痺れるそうだ、痺れが酷くなると服用量を減らすが、そうすると今度はガンの痛みが襲ってくるのだという。想像するだけでも耐え難い苦しみの中で彼女はいつも笑ってくれる。

「死(或いは生きること)」については高校時代に親父を亡くしてから毎日のように考えていたし、大きな存在失ったことでいろんなことを学んだつもりだけど。「予期された死」には僕が経験したものとは違ったものが混在していて、改めて色々と学ばされることが多い。「学ぶ」なんて書くと不謹慎に思うかもしれないけれど、そこには僕の知らないことがあまりにも多いのだ。

「彼女にはもう選択肢が数えるほどしかないんだ」

そんな言葉が脳裏に浮かんだ。彼女は好きな人に自分から会いに行くことができない、大好きな場所にいって風景を見ることも、お気に入りの喫茶店に行くことも…歩くことも。安直な比較論による価値観の飛躍を嫌う人間もいるだろうけど、やはりここで僕は自分の「選択肢の多さ」に気付き、それが「永遠ではない」ということに気付く。

つい気分が高まって「永遠に愛してるよ」なんて簡単に言っちゃうような軽薄さを誰もが抱いている、僕も高校時代にそんな台詞を吐いてた。でも永遠なんてものはなくて、逆にいえば今しか感じられないものや出来ないことが自分の周りには転がっている。

月並みなセリフだけど、自分をすり減らしながら毎日を生きていると、いつの間にかそういう感覚が麻痺して最後にはなくなっちまうらしい。いかに「すり減らさず」に生きるかを模索した瞬間に、人間は「一度目の死」を迎えようとしているのだろうか。

当たり前のことだけれど、たとえ同じ場所に同じ人と行ったとしても、若いうちに見えるものと老いてから見えるものはきっと違う。まったく同じ風景を見たとしても、それを誰かを見ることそのものの持つ意味も違ってくるし、その時の色々な状態によって全ての経験に何らかのバイアスのようなものがかかるのは間違いない。

そんなことを考えてると「またいつか」という言葉は万能であり残酷だなと思う、大人の「いつか」は果たされないことが多い。

「"いつか"なんてあって無いようなものだ、今できることを先送りするのは(なるべく)やめよう」

そんな風に思うだけでも、生き方って変わってくるよな。結構難しいけど頑張ってみようと思う。
テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ
【人生】   Comment(1)  TrackBack(0)   


Template by まるぼろらいと / ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ